Notion導入

Notionというアプリケーションがある。たまたま英語学習の過程で知ったのだが、どうやら超話題のアプリのようで調べてみればけっこう使っている人が多い。色々触ってみているうちにだいぶはまってしまった。このアプリ、できることの幅が異常に広いので一言で形容するのが難しいのだが、それくらい何でもできるアプリだというのはまず強調しておきたい。主な用途としては日記や仕事効率化やタスク管理やメモなどだろうが、自分好みにいくらでもカスタマイズできるので各々の工夫次第でどういう使い方もできる。できることの幅が広いのが特徴と言ったのはそれもそのはず。色々なアプリを使い分けて結局どれで何をすることにしたのか分からなくなってしまって元も子もない〜〜という問題意識から、全てを一つのアプリでできるようにしようとして作られたのがnotionなのだ。

 

二週間ほど前の暇な日ひょんなことからnotionをいじり始めたのだが、いつのまにか一日が終わってしまった。タスク効率化のために時間を費やしてタスクは一つたりとも進んでいないのには笑ってしまうが、翌日の進捗がすこぶる良かったので侮れない。こういうタスク管理とか日記の整理とかは結構好きなので、ほぼ趣味くらいのつもりで始めようかと思っているのだが、ひょっとするともう少し使い込んでみてもいいのかもしれない。ということで使い道について少し考えてみた。以下はその時の考えだいたいそのままコピペしたものだ。

 

 

完成形としては複雑すぎないことが継続するうえで重要だ。notionは色々なページを連携させられて一箇所でいじったら全体にも反映できるため、たとえばタスク一覧表のto doリストにチェックを入れたら日記に埋め込んだto doリストにも自動的にチェックがつくような感じで、かなり便利かつ面白い。これで動作が重くないのだからすごい。と、感動して調子にのると連携がかなり複雑になってしまって手に負えなくなる未来が見える。だからタスク管理や習慣管理を実施したとしても、日常的にいじる部分はごく簡単に済ませられるくらい、たまに休日にちょちょいと修正すれば十分くらいの状態にしておきたい、というのが理想的だ。

ごくシンプルにすることは簡単ではあって、日記もtodoも全てを一箇所に集めてしまって随時タグをつければ、自作のタグ(日記とかアイデアとか美味しい日本酒メモとか)によってフィルターをかけて日記だけメモだけ出して眺めるのも簡単だったりする。現状では大体こんな感じ。1~2日程度の使用でも良し悪しは感じていて、この形式を続けるとしたらタグの調整が必要になってくる苦労が思い浮かぶのだが、それ以上に自分好みのスタイルではないという違和感が最も大きい。

話が長くなっているが、要するに自分好みの完成形でありかつ日々さわるうえではシンプルな操作で済むようにしたい、という方針でnotion構築を考えている。

 

しかし、根本的な問題として、自分が何を必要としているのかが未確定であるというのがある。あくまで趣味的に始めていることではあるので、端的にいえばnotionを使いたくて使っているのが現状だ。だからたとえば日記を書こうと思ってnotionを始めたはいいが、めんどくさくなってアプリを消してデータ消滅という一番しょうもない結末はかなりありえる話になる。そもそも日記だって書きたいのかどうか微妙なラインだし、仕事習慣化についてもまだ入社していない段階であるからnotionを職場で開けるかも怪しい。そのためまずは僕の現在の状況を整理するところから始めて、必要あるいはやってみたいことをできるnotionを目指そう。

 

・日記

もともと気が向いた時に文章を書き連ねていて、それを日記がわりにしていた節がある。ので日記めいたものは続いているといえば続いている。今この文章を書いているのはscrivenerという文章作成アプリでたしか5000円くらいしたのだが、かれこれ五年以上使っていて気に入っている。あまり凝った使い道はしていないのだが、macとの相性がいいのか文章を打っていてほとんど固まらないし、超長文を書き溜めまくってても重くならない。日付を文書タイトルにしてその時に考えたものを雑多な文章にして溜め込んでいて、それを一年ごとに作り変えているのだが、一万字前後を書いたものがいくつもあっても問題ないのだからすごい。基本的に日記が書きたいというよりも文章じゃないと考えがまとまらないタイプなので、駄文ながら最低3000字くらいの文章が不定期で並んでいるため、日記というよりは思考の痕跡といった趣きである。結構気に入っていて今更他のに乗り換える気になれないことなので、これはscrivenerで続投する。

とすると、日記を書く必要がない……と思いきや、意外とそうでもない。別のアプリで日記を書いたり書かなかったりしているのだが、先週何があったのかなどを見返せるのが楽しかった。その日の満足度を五段階で評価する機能とかも使いこなせたら、自分の生活も変わったりするのかも?と思わなくもない。ここで着目したいのは記録の振り返りが現状できていないということだ。世に出したもの長文ならばけっこう練っているから愛着もあって読み返したりもするのだが、雑文はあまり読み直さない。思えば自分が何をしてきたのかを客観視する機会があまりないようだ。多分うんざりするほどだらけているのだが、それを直視したくなさすぎて雰囲気で過ごしているところがある。たとえば植物の勉強をしようと思ってできてない期間がわりとあったりするのだが、極端な話「わりと」が数日なことも数ヶ月なこともある。それくらいの粗さで過ごすのはゆとりとは違う。何より改善したいと自分で思うところなので、これはnotionに頼ってもいいポイントだろう。ということで

(!)記録を振り返る仕組みを作ろう

 

 

・やり忘れ防止

今の話に似ているのだが、やろうと意気込んでいたことをいつのまにかやらなくなっていることが多々ある。最近は柔軟ストレッチを欠かさずやっていて、他の「継続する技術」というアプリに尻を叩いてもらいながら、なるべく毎日やっている。できていることではあるのだが、あまり多くのことに目を配れないのが悩みのタネだ。特に、毎日やるとかじゃなく「週に3回くらいできたらいいな」くらいのことが一番やりづらい。具体的には文章で長文を書くことなどがちょうどそれで、毎日は辛すぎるが週に一回も書かないのは脳がダメになる感じがするから、そこそこの頻度で書いて考えるようにしたいと思っている。この習慣化が難しい。毎日リマインドするのはやらない日がサボってるみたいで鬱陶しいが、うっかりするといつの間にか何もせず一週間経過することなんかざらにある。

さらにめんどくさいことにtodoリストとかと言われると肩身が狭くなっていやだ。義務感でやることはやり忘れると自分への信頼を損なって自暴自棄ポイントが加算される。自分の向上心に寄り添った結果で自分を堕落させるのは本末転倒なので、義務っぽくなくできるようにしたい。加点方式での評価というか「できなくても一切問題ないけど、できたらひたすらすごい」みたいな。これ再現できるのか?

と、todoっぽくしたくない気持ちもあるが、普通に一週間以内にやらないといけないことなどは発生したりする。靴洗うとか銀行に入金するとか。todoにあたるものについてはリマインドするなり頻繁に目に留まるような仕組みができるとなおよい。これtodoにしろやりたいことにしろ、忘れないようにして今週どれくらいやってるか確認するというのができればいいのかも。

(!)週単位でやりたいこと(義務感なし)やtodo(義務)を忘れない・確認できる仕組み

 

・メモ

実を言うと僕はあまりメモをとらない。これで上手くまわっている、というわけではなく普通にただただメモをとらない。信念があるわけではなく上手くメモをとる習慣がついてないということだ。実際、メモは散らかってる。紙も好き好んで使うものだから余計に散乱する。ツイッターのツイートやいいねをメモがわりにすることもあるが、ツイートはまだしてもいいねなど一瞬で忘れ去る。覚えてた試しがないくらい。ということを踏まえると、紙は紙で頑張ってもらって電子機器でとるメモについてはnotionにまとめてもいいのかもしれない。

これも使って日が浅い範囲内での感想だが、こういうことしたいなと思ったときにメモする場所がすぐ思い至るのがけっこういい。scrivenerに書き留めることもあるが、出先だとkeepというメモアプリを使うことになり、ということがあると気持ちが分散してメモを書き始める初動が遅れたりするし、どこに何のメモがあるのかを結局覚えておかなくてはいけなくなるのもだるい。ここに書くぞと気持ちが定まることはそれだけでも効用は大きい。別にkeepでもよかったのだが、notionを見る習慣がつくのならこちらの方が見返す機会は大きいだろう。ちなみにnotionはPC・スマホiPadのどれからもアクセスできて、端末数の制限もないのでその辺の使い勝手も良好だ。

(!)メモの居場所を作る。それでいてメモは見返しやすいように目に付くようにする。

 

 

・仕事効率化

以前誰かのブログを見てtrelloというアプリを使って自分の勉強にとりいれたことがある。これはtodoをリストアップして、「一週間以内に済ませたいこと」「今日中にやらなくてはいけないこと」「今やっていること」「終わったこと」などのブロックを作って「~~を読む」などの項目をそれぞれの下に収納して、進捗状況に応じて所属を変更していくようなシステムだった。

これはtodoの整理を狙ったというよりも、やらなくてはいけないことが無数にあって気持ちが散らかっているせいで今やってることに手が付かないという思考の分散への対策として紹介されていて、今日すべきことが明確にわかっていれば今やることに集中しやすい、という話だった。これは僕にはあまりはまらなかったのだが、同様のことはnotionでもできる。で、やりたいかという話なのだが、ここまで手を出すと日々の操作やnotionの構造が複雑になっていきそうな気配がある。先に述べたように、そもそも職場でnotionを開けるかも微妙なので、これについては後ろ向きに検討として保留にしておこう。

 

 

・読んだものなどの記録

今までに色々な感想をまとめていたりする。日本酒のレビューや映画の感想やなんかだ。メモをnotionに一括化するならこれらも入ってくることになる。タグづけによって一目で何の感想かわかるのはありがたいが、どこに置くことになるのだろうか。必要なときに取り出せればいいので、検索に引っかかれば十分と考えてもよい。そうするとあえて埋もれさせるのも手だろうか。

表示方式やフィルターやソートを設定できるビューという機能があって、収納されているデータベース(メモなど)を目的別にピックアップして見やすく表示できる。これを用いて「感想」的なビューを一箇用意すれば十分だろう。むしろ日本酒の感想なんか毎日見る必要もないので、さっさと見えない位置にいってくれた方がノイズがない。

(!)諸々の感想など見返す機会の多くない記録は隠してノイズを減らそう

 

・勉強の進捗を考えるデータが欲しい

今一番熱心に勉強しているのが植物になる。今後はこれに仕事で必要なものの勉強とかも入ってくるのかもしれない。ここで問題に感じているのは、やろうと思っていることのうちどれくらいができていて、どれくらいが残っていて、今はどれくらいできているのか、全貌を把握できていないということだ。時間をかければできなくはないのだが、すぐ忘れてしまうし、進捗があったらそれでまた全貌を把握するのに時間をかけるのは面倒くさい。全貌がわからないから今日はここまでやるという目標を立てにくく、いつも「頑張れるところまで頑張る」という脳筋理論でやっている。初日とかはそれでけっこう進みはいいのだが、いつのまにかやらなくなってしまうので、期日と目標があるのはやっぱり大事だと思う。ということで、勉強内容ごとの進捗管理をしてもいいのかもしれない。

(!)やろうと思っていることの進捗状況や今までの成果、まだ手をつけていないことなどを一望できるようにしたい(これについてはまったく見通しが立っていないのでひとまず紙で進捗を整理しながらアイデア出しをしてみるのもいいかもしれない。)

 

 

 

ここまでの総括+α

 

シンプルな操作かつ自分好みのデザインとすることが大前提

(!)記録を振り返る仕組みを作ろう

(!)週単位でやりたいこと(義務感なし)やtodo(義務)を忘れない・確認できる仕組み

(!)メモの居場所となる。それでいてメモは見返しやすいように目に付く位置に置く。

(!)諸々の感想など見返す機会の多くない記録は隠してノイズを減らそう

(!)やろうと思っていることの進捗状況や今までの成果、まだ手をつけていないことなどを一望できるようにしたい

 

といったのが現状で入れ込みたい要素になる。書いた順は思いついた順ではあるが、ちょうど優先度順と考えてもよい並びだ。

してみると、まずは自分の日記を書いて記録を振り返るシステム作りが第一の作業になるだろうか。実際振り返れるようにしたところで何かが変わるのか半信半疑だが、これもやってみてということで。notionになれた人たちが自分の使っている様式を販売配布できる仕組みがあるらしい。色々いじってみたが綺麗にはできなかったという事情もあって、既成のものを使うのは手であろうと思う。幸い、notionの解説本にテンプレートのおまけをつけてくれているものがあったので、そちらで他の人の使い方を見つつ、テンプレートを活用していければと考えている。

 

 

 

 

以上が大体二週間前の文章。

それから結局毎日しっかり使っていてかなり重宝している。

構成としては日記・メモ・英単語帳の3本立てでこれに植物勉強用のページも追加しようかと画策しているところだ。

 

日記については、データベースで管理して毎日1ページ作成している。これは『Notionライフハック』という本の日記を参考にして、自分好みに少し調整している。ポイントはビューを使って一覧表示したときに満足度や一行程度の日記が見えてざっと振り返れるところ。さらに、習慣的にやろうと思っていること(柔軟体操や諸々の勉強など)のチェックボックスを用意して、これも一覧でざっと見れるようにしている。

変更点としては二つ。週に数回やればいいくらいのもの(運動や文章たくさん書いて考えるなど)についてはチェックボックスだとやってない日が目立って落ち込むので、マルチセレクションという形式でやったときだけ目立つようにしている。もう一つの変更点は日記のページ内にその日のto do や一週間のto doないしスケジュールを表示できるようにしているということ。今日のページを日付変更と同時に自動で作成するように設定しているので、週初めに予定を書き込んでしまえば今週の予定や進捗についての情報を毎日持ち越して確認できる。これで一週間という広めの視野の中で今日何をするかなどを考えられるので俯瞰しやすい。というのと、日記の中に入れてしまえば振り返りのきっかけにもなるし、当日はそのページさえ開けばなんとかなるため、けっこうスッキリした使用感になっている。これはなかなか気に入っている。メモに残すほどでもないことをメモしたりする欄も作ってあるので、to do を埋めたりメモを残したりしているうちに日記がもう完成しているのも手軽で使い勝手がいい。

 

メモ。先ほどの本の著者であるreiさんがyoutubeをやっているのだが、そこで出していた彼の弟のnotionの使い方を参考にしている。メモに自分なりのタグをつけてひたすら貯めるというだけで、弟さんは日記とかも全部ここにまとめているというのだから徹底しているのだが、僕にはそこまで割り切るのは難しかった。また、タグについてタグをつけて整理をするという二重構造をとっていて、これの旨みは正直わかっていないのだが、作ることはできているので先人に習って真似してみている。不都合はないのでまぁ引き続き使用感を見ていきたい。

これでけっこう便利なのは後で読もうと思ってたサイトなどもぽんぽんここに放り投げているからchromeのタブが大量になってしまうのを避けられる。また、なんとなくスマホを持っちゃった時や満員電車の中で本を開く余裕がないときなど、「暇な時」というビューを用意しておけば、とりあえず後で読もうと思ったもの一覧が出てくるので気が向いたものを読めたりしてけっこう都合がいい。何よりどんなシチュエーションでも「とりあえずnotionを開けば何かやることが見つかる」という状況になっているのがかなりいい。

 

英単語については、新しい単語を覚えたら習熟度と和訳とをタブで作って、ボードビューを用いているので覚えたらドラッグして隣の習熟度に移すということをしている。これで知らない単語や馴染みの薄い熟語などを覚えていける。

これも誰かyoutuberの使い方を見て記憶を元に参考にしたもの。というかその人の動画でnotionを知ったので個人的に恩が深いのだが、そのわりにちゃんと見返していないし英語もそんなにめっちゃ使っているといのでもない。が、まぁ滞っていた勉強を再開できたのは大きいということで。

 

植物の勉強については参考にならないだろうし、そもそもまだ動かしていないので割愛。

とりあえずこんな感じでnotionを運用している。仕事効率化みたいなものがけっこう好きで、日記みたいなものが溜まっていくのも楽しいし、自由度が高いものを自分好みに仕上げていくのが手軽なクリエイトって感じがして楽しい。notionいじるのを楽しめているからこそ、「to doのとこチェックつけたい!」みたいに、やらなきゃいけないことを楽しみに変えられていて、それ自体がけっこう大きな魅力であったりもする。というわけで2週間程度のnotionの使用感でしたとさ。

北陸旅行 8日目(越前大野・東尋坊)

越前大野散策

長い旅行も最終日となる。深夜バスで帰るため家に帰るまでが遠足理論でいけばもう1日あるが、北陸に滞在するのはラスト。あいかわらず宿の部屋が静寂すぎるので起き抜けにはわからなかったが予報の通りに雨が降っている。事前に宿の兄さんから近所の美味しいパン屋などを教えてもらっていたので、朝早めの時間に散歩に出た。昨日の夜には暗くて見えなかった街並みがよく見え、それ以上に山がとてもはっきり見える。恐竜博物館への道すがらでも山は眺めていたが、落ち着いて見渡せばしっかりどの方向にも高い山々がそびえ立っている。これが盆地か。

盆地だと逆転層を形成すると聞いたことがある。夜間に雲がない状態だと放射冷却によって地表面から空気が冷えるのだが、空気の移動しにくい盆地では冷気が留まり上空の方が気温が高くなり通常とは逆の状態になるという。これが逆転層で、下の方で水蒸気の凝結がさかんに起こるため、霧なり雲なりが盆地内で主に生じることになるとかならないとか。そんなことを思い出したのは雲の位置がえらく低いからで、それほど高くない山の中腹ほどに雲海ができていて山頂付近には雲がかかっていない。雨がいつ頃から降っていたのか不明だが、夜間は晴れていて逆転層ができていたのかもしれない。

パン屋は7:00から開いていて、着いたのは7:30くらいだったが地元の人もちらほら買いに来ていた。朝が早い。クロワッサン大好き人間なのでいの一番にクロワッサンを手に取ったが、クロワッサン生地を使った変わり種パンもけっこうあって、選んでからそっちに気づいた。手に取った後に悩ましい競合相手を見つけ、戻すのはしのびないから選択の余地なく最初のものを買う、ということを全部のパンでやった。なぜ。味はそれなり。宿で出してもらったパニーニがかなり美味かったので、今日もモーニングつけてもらってもよかったかもしれないと一瞬思ったが、街中を散策する余裕があるのはありがたい。

近所の和菓子屋さんで芋きんつばが評判の店があった。観光に訪れる人がままいる場所ながら、あまりに美味しいので地元の人が朝早く並ぶような店で、昼前には売り切れることもあるという。賞味期限が短いし冷蔵保存なので土産にはむいていないが、幸い冬だし最終日なので買って帰れるタイミングだった。これはついている。ひとつだけここで食べる用に出してもらったので、焼きたてほかほかのをいただいたが、実際かなり美味しい。大変にグーである。

 

この近所は地下水で生活しており、その水も名水ということで知られている。それが現在進行形で湧いているところがあり、石垣に囲われた長方形の窪みの中に木の櫓が組まれているといった場所がある。厳かな感じだ。実は昨晩もここに立ち寄っていて、真っ暗なりに雰囲気を見ていた。どうやら水を汲んでいい場所がある。柄杓で容器に入れる形式らしいが折悪しく容器などは持ち合わせていないため、手をおわん状にして一口いただいた。なるほど美味しい気もする。宿の人いわく、山際のエリアに住んでいる人は山から出てくる地下水が鉄を多めに含んでいるだかで質が悪く、その辺では水道水を引いているとのことだ。なんだか惜しい。山の上の城を眺めながら宿への帰路についた。

 

 

宿

チェックアウトまで小一時間ほど温まらせてもらった。少し外に出ただけでも手足、特に足先が冷える。寒さ対策で衣類やネックウォーマーを買い足しておいたのだが、足の冷えは対策していなかった。言われてみればそこだけいつもと防寒レベルは変わっていないのだ。今日の道中でいただきものの靴下用カイロを装備することになることを決めた。その手があったのを失念していた。

宿ではこたつに入って温まっていたのだが、それと一緒にコーヒーを淹れてもらっていた。実はこれ恐竜博物館のミュージアムショップで買っていたお土産で、恐竜博物館まで送ってもらったお礼がてら是非おすそ分けさせてくださいと押し付けていたものだ。その名も「恐竜のカヲリがするコーヒー」。どうせ一発屋のネタだろうということもあって、5パック入りのうちの2パックを我々でいま飲んで、残りを家族用の土産に回させてもらう計算だった。お礼にしては打算的で心がこもっていない感じもしたが、近場の観光施設のお土産なんかかえって縁がないだろうという考えもあった。礼には及ばぬと、ささやかなコーヒーすらも遠慮されそうだったのだが、それは押し切って朝のコーヒータイムと相成った。宿の設備を使うので仕方ないが結局宿の兄さんに淹れてもらうかたちとなり、お礼になってるのかどうかわからなくなってしまったが、兄さんの方はと言えば終始にこやかであった。人の良さを感じる。

肝心のお味の方は、最初からわかっていたとおりよくわからなかった。草食竜を思わせる草の香りと角に付着した鉄錆の香りをイメージしたらしい。薄めでまろやかな口当たりで美味しいには美味しいが、恐竜云々については「わかんないすね」と二人で談笑していた。このコーヒーは一人で眉間にしわ寄せながら味わうよりは誰かとこうして飲む方がいいものなのだろう。宿のこたつの効果も相まって穏やかな時間を過ごせた。

チェックアウトは10時なのだが、外はやはり小降りで電車がくるのが11:30ということで、もう1時間いていいすよと言ってもらえた。のみならず駅まで送ってくれるという。至れり尽くせりだ。こうもされるとなんとかしてもう一回泊まりに来たい気持ちになる。家屋も立派なので、それだけでも泊まる甲斐がある。次くることがあるならもう少し雪対策をしておいた方がいいだろう。すごい年だと3階建ての市役所の隣の駐車場に雪を捨てていったら市役所相当の雪の塊ができたこともあるらしい。なんやかんや話しながら駅まで送ってもらい、極めて快適に越前大野を後にした。

 

 

福井駅前後

駅からも電車からもやはり全周で美しく山が見える。雲の位置が低いのが幽玄とも言いたくなる趣を成しており、さながら水墨画の世界であった。分厚い雲から小高い丘が顔を覗かせるようにして山に雲がまとわりついている。盆地だと空気の動きが少ないのだろうか。あまり雲が動く様子が見られず、雲自体に硬さを感じる見た目ですらある。ちょっと面白い。

電車の中であちこち景色を眺めるものだから近くの人に一瞬怪訝な顔をされたがすぐに許してもらえたっぽい。よそものらしき人が他にもいたので日常茶飯事なのだろうか。やがてトンネルを突っ切って盆地を抜け、福井駅に到着した。そういえば行きの新幹線で富山に着いた時もトンネルを抜けた。そのときは「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」を実体験できた、とはしゃいでいた。『雪国』は北陸を舞台としているので、実際この辺のことなんだろうなと思っていたが、全般的に山がちな地形で山を越えると景色が変わって、それ以上に心理的な変化が生じたりするのが印象的だ。川端はやはり人間を上手く描いている、ような気がしてくる。

福井駅での乗り換えはそこまで余裕はなくて、コインロッカーに荷物を入れてえちぜん鉄道の1日フリー切符を買ってホームに上がるとちょうど電車が来た。片道770円の予定で電車乗り放題切符が1000円なのでかなり安上がりだ。お金を落とすことを心がけてきたもののさすがに豪遊続きでちょっと不安になってきた頃合いだから少しでもケチれると安心する。えちぜん鉄道福井駅はかなり新しく綺麗で、全体を木造テイストに仕上げて見える範囲には木らしきものが張られている。できたての温泉みたいな内装だった。電車にはアテンダントと称する乗務員がいて、短い車両を行き来して(途中に無人駅がある関係で)車内で切符を売ったり、お土産を売ったりしていた。帰りの電車にもアテンダントがいたのだが、ずいぶん若くて綺麗なお姉さんがその役回りをしていて(前時代的~~)と心で唸っていた。その延長に風俗がありそうなサービスのことをおもてなしとは呼んではいけない気がする。かくいう自分も彼女らのことを「若くて綺麗なお姉さん」だと思ったりしてて、若くて綺麗だなって思うのいつか辞められるのかなとそわそわしてた。

 

 

東尋坊

さて次の目的地は東尋坊だ。福井と言えばで上がってくる観光地の一つで自然景観に見とれることの多い身としては無理してでも行きたいところだった。決して小さくはない福井県の山側と海側なので、やや強引な移動になったが他に行ける範囲でめぼしいところもないのでちょうどよかった。金沢からの移動日に立ち寄るプランもあったのだが、どうしてもアクセスが悪くて滞在時間がかなりシビアになるため断念していた。

終点の三国港駅で降り、少しだけ待ってバスに乗った。徒歩でも行ける距離だったが雨が降っていたし、よりによって折りたたみ傘をコインロッカーに入れてしまっていた。バスの観光客は僕一人だったが、東尋坊に着くとそこそこ人がいた。お土産やご飯どころの店が並ぶ通りを突っ切ると海が見え、展望テラスみたいになっているところから東尋坊の柱状節理が見え、そこから降りて行けた。

意外にも崖のキワまで歩いていけて、柵などは一切なかった。たしかに写真とかで柵は見たことがなかったけれど、これはしっかり落ちれる。手をついて海の方に顔だけ突き出して崖下を覗き込めるのだが、思ってたより怖かった。単純に高くて怖いというのもあるのだが、下で待ち構えている岩や荒波がものものしい。自殺スポットという偏見だけ持っていたのだけれど、ここで死んでも無しかないと感じた。死んだ先でどこにもいけない場所、というか。他の自殺名所として有名な華厳の滝では、(不謹慎だが)ここで死んでしまいたくなるのもわかると思ったものだが、場所によって出てくる感想はまちまちのようだ。そういえば寺山修司華厳の滝で自殺した人を随分と持ち上げていた。彼なら東尋坊についてどう言うだろうか。華厳の滝で死ぬのは積極的で美しいが、外因によって追い込まれて死ぬのは自殺の風上にもおけないくらいのことは言いそうで、なんとなくこっちに東尋坊が入りそうだ。僕があまり彼のこと好きじゃないからそう思うのかもしれないけれど。

調べてみると、東尋坊は今も自殺者は多い場所のようだ。しかし、いかにもな見た目に反して海抜それほど高くないので死ににくい場所であるらしい。店の並んだ道にテレビによく出る「ちょっと待ておじさん」がいる店とのぼりが立っていて、なんだこれはとスルーしていたのだが、そのおじさんは自殺志願者に声をかけて死のうと思った理由を聞いたり、場合によっては同じ境遇にある人と共闘できるようなNPOなどの居場所を紹介したりという活動をしているらしい。思想をこねくりまわしている僕(や寺山修司)のような人間は大した実益を生まないが、こういう人はきっちり一人一人に向き合っていて頭が上がらない。お店で買い物してくればよかった。

 

ところで東尋坊に来た目的は自殺云々とは関係がなく、シンプルに巨大な柱状節理を見たかったからだった。恐竜博物館で地学方面の知的好奇心を触発されていたため、一層興味深い。柱状節理というのは柱状の岩石が集まっているもののことを言い、マグマが冷えて固まってできたものだ。理科の実験とかで塩の結晶を作ったときにゆっくり時間をかけないと綺麗な結晶ができないという話があったと思うのだが、それと同じでマグマがゆっくり冷えないとこのような柱状節理は出来上がらない。マグマが噴出して外気に一気にさらされれば火山岩に分類される岩ができるが、その形はいびつなものとなる。東尋坊のこれはマグマが地中に噴出して、そのまま時間をかけて冷えていったもので、地上を覆っていた大地が海の浸食作用で削り取られていったことで柱状節理が露呈したのがその成り立ちである。地中で冷えていく過程でも外側は冷えやすく内側はより時間をかけて冷えていったということになるため、東尋坊の外側付近は柱が小さく、内側ほど大きい様子が観察される。その分布から今も地中に埋もれている領域の大きさも推定できるとか。見えているものから見えないところを推測するこの感じは恐竜の研究に通ずるものがある。高校の頃は地学全然面白くないと思っていたが、今ならめっちゃ面白い。

帰りのバスを待つ時間もあるし、なんなら福井駅で時間が余るので、昼をこのあたりで食べていくことにした。海鮮食べまくりツアーのつもりだったわりにカニを食べてなかったので、安物っぽいが通りにあった海鮮丼屋さんでカニいくら丼を食べておいた。ノルマみたいに食べるものでもないのだが、しっかり美味しかった。

 

 

芦原温泉福井駅

このまま福井駅に直行してもかなり時間が余る。これは見越していたことで、どこかの温泉に入ろうと目論んでいた。宿の兄さんからは三国港駅近くの施設で海を眺めながら入れるところを紹介してもらっていて、そこにしようかとも考えていたのだが、せっかくフリー切符があるのでえちぜん鉄道の途中にあった芦原温泉に行くことにした。付近にいくつか日帰りできそうな場所があったが、特に心惹かれる場所もなかったので行きやすそうなところにしておいた。可もなく不可もなくといったところではあったが、一度暖まっておけたのは大きい。適当に時間を見て、帰りの電車の時間に合わせて出た。

 

福井駅に着いたらあとは深夜バスを待つばかりで、どこか回ろうにも暗いし傘もない。傘を出すとしたらスーツケースと一緒に回ることになってだるいので、ずっとプロントにいた。ごはんにしては微妙な時間だったのでドリンクのみだったのだが、店を出る直前になってお腹がすいてきてしまった。注文して食べるには時間が微妙だったので、駅にあった新しい待合スペースのことを思い出し、そこで持参していたカロリーメイトを食べた。被災地付近だからと思って念の為非常食はいくつか用意しておいたのだが、被災の痕跡が散見されたのは氷見と金沢の一部くらいで事前情報どおりおおむね通常運転であった。非常食の出番がなかったことに感謝しつつ、豪勢な一週間のつけとしての今後のひもじい生活の一歩として質素な夕食を済ませ、バスを待った。

予定通りに着いたバスに乗ってしまえば特にもう言うことはなく、あまり眠れなかったが普通に東京駅について普通に家に帰った。あれだけ長く外にいたわりに自然に家にいるので、自宅も仮住まいだとでも思っているのかもしれない。いつも旅行は名残惜しさにうちひしがれながら終わるのだが、福井のスローライフにひたっていたからか、十分長く旅行したからか、今後もしばらく無職の余裕があるからか、特に寂しさも感じずに帰宅した。

北陸旅行 7日目 恐竜博物館day

前日に言っていただいた通り、宿の兄ちゃんが車に乗っけてってくれた。道すがら色々話していたのだが、今年は異常に雪が少ないらしい。普段は平均で1mくらい積もるらしいのだが、今年は道端には一切積もってない。冬の寒い時期に死ぬほど寒いところでも行ってやるかというつもりで北陸に来たので正直ちょっと拍子抜けしていたのだが、これを普通と思っているといつか痛い目を見るやつだ。僕が到着する前日は普通にマイナス十度以下で道路もツルツルだったとか。それでもかなりの暖冬で、過ごしやすい反面、宿としてはスキー客が減って痛手のようだ。そういえば、この辺は全然地震の影響はなかったが、さすがに年始はキャンセルが続いたという。状況のわからない時期は行きにくいのもよくわかる。

昨日は暗かったし雨だったので知る由もなかったが、車から眺める景色はどこを見ても山を眺めることができてなかなかいい。関東平野の真ん中に住んでいると山がある光景ってだけでけっこうテンションが上がる。外国人でもこういうのどかな風景を求めて来る人がまあまあいるらしい。わざわざ外国から?と思わなくもないが、東京の混雑に嫌気がさした人が来ることもあるという。

 

 

恐竜博物館

到着。親切にも入り口の真ん前まで車をつけてくれたので、広い駐車場を素通りしてすぐに入れた。入館が10:3017:00の閉館まで恐竜博物館にいた。一瞬だった。事前に所要時間を調べたところ、平均は1時間半だがけっこう長居して5時間くらいだったという人がいたので、10時半スタートならゆとりあるだろうと考えていたのだが、全然時間が足りない。金沢からの移動のついでに立ち寄れば1時間くらいは見れる計算だったので、そのプランも考えていたのだが、そんなん今にして思えば本当に愚行だ。

今は混雑時期から外れているので当日券でも入れるが、基本的には予約制をとっていて、指定の枠の1時間内に入らなければならない。場合によっては遅刻したら入れないこともあるようで、そうでもしないとめちゃめちゃ混むような場所だということだ。恐竜に全然興味がなかったので油断していたが、あそこは何時間でもいられる。これでも最後の方の展示は駆け足だった。

で、何がすごいのかという話なのだが、全部話すとなるとそれこそ滞在時間と同じくらいかかってしまう勢いなので、大枠でいくつかの項目にしぼって話したい。といってもまだ整理がついていないのだが……。

ざっくり挙げていくと、研究者の努力が凄まじいということが一番だろうか。それを踏まえて見てみると展示品の希少性に一層の感動を覚える。恐竜を通して知識や好奇心が広がっていくのも純粋に面白かったし、思いを馳せるその気持ちの射程が過去方面へと遠く伸びていく意味でも広がりがあった。見せ方もかっこよくて入館していきなり気合いの入った展示があったりするのも最高だった。

 

 

1.恐竜研究の現在を目の当たりにできる

先に述べたように僕はたいして興味はなかったが、映画『ジュラシックパーク』なんかのデカくて強くてかっこいい恐竜のイメージを通して、子供の頃から恐竜の存在にはよくなじんでいた。それくらいの距離感の、ほとんど知識のない者としては、恐竜はすでにそれなりに研究されていて現代の恐竜研究は細かいところを埋めていくばかりのように思っていたのだが、これがぜんっぜん違う。まっったく違う。たしかに一個一個は細かな研究であるとしても、今なおドラスティックに仮設が覆されている。その研究の最先端を反映しながら解説や展示を行っている。意見が統一されていないことについてはその通りに書かれたりしていて、学術的な誠実さも随所に見られる。恐竜の痕跡と並んで研究者の痕跡もそこかしこに確かめられる。

たとえば一番多く恐竜の化石が展示してある一階のメインフロア、その真ん中にティラノサウルスの模型がある。これは化石ではなく皮膚も再現しているように生体を模した模型で、動いたり唸ったりするため、とてもキャッチーで博物館のシンボル的な存在でもある。が、これがただの客引き的なマスコットだとあなどってはいけない。最近の研究からティラノサウルスは以前に想定されていたのと違って唇があるという説が有力になっており、歯をむき出しにした見覚えのある姿ではなく、口を閉じているときにはしっかり歯が隠れるような作りにしている。恐竜博物館は比較的最近に改修工事をしていて、それまでは歯がむき出しの模型だったのだが、工事に乗じてこの模型も新しくしたのだそうだ。なるべく本当の恐竜を再現しようという熱意がここだけでも伝わってくる。

他にも後ろ足で立った姿で再現されている古い複製模型につけられた解説では、現在では四足歩行をしていたと考えられると書かれていたり、ブラキオサウルスという首の長い恐竜が実際には思い首を高く持ち上げられているかどうか意見が割れていると書かれていたりする。かっこいいものに痺れさせておしまいではなく、恐竜研究の現在を見せる展示になっているのだ。

 

 

2.少なすぎる手がかりからの成果がアツい

曲がりなりにも植物の方で分類の勉強していた身からすると、化石から種を判別するのはそれだけで離れ業に見える。骨のどこそこの突起が……と特徴を出してくるのだが、単純な劣化で欠けているのかもしれないじゃんと思ったりもする。生体なら皮膚の模様とかが判別のヒントになるだろうに、皮膚なんかほとんど残らない。それどころか、近所に出てきた骨が同じ個体や種のものかなどの保証もないのだ。骨が一箇出てきたところで脊椎のうちの一箇なのか足の甲を構成する小さい骨なのかも素人目にはさっぱり分かるまい。出てきた骨がどの骨とつながるものなのか、そもそも新しい種のものか既知の種のものなのか、不確定要素が多すぎる資料が研究対象となっている。発狂ものだ。

だからこそ一個体のものと明らかな化石が出土すれば、その興奮たるや想像するだけでもたまらない。実は博物館に入って比較的すぐ、メインフロアに上がる手前にあるのがそうした化石だ。これはカマラサウルスという恐竜の一個体の化石がほぼ生体のときのままの位置関係で保存されていたものだ(正確にはそれを再現した標本で実物ではない)。これさえあればどの骨がどの向きで接合していたのか、かなりのヒントになる。骨には筋肉が張り付くための面があり、ひょっとしたらこれまで可能性レベルで推測に推測を重ねていた骨と筋肉との配置が明らかになる契機になったのかもしれない。いやこの筋書きは僕の想像でしかないのだが、研究者たちの喜びを想像し、ついついほくそ笑んでしまう。

 

そして手がかりという意味でもっとアツいのは、恐竜のミイラだ。これは実物の化石が展示されている。ブラキロフォサウルスという恐竜のものでレオナルドというニックネームがつけられている。愛されている。そりゃそうだろう。本体については骨や歯くらいしか残っていなかったのに、レオナルドには皮膚や筋肉のあとが残っているのだ。よくある恐竜の生体イメージはいかにも爬虫類然とした柄のある鱗の皮膚だが、実際のところあれは現代の爬虫類をヒントにして想像に想像を重ねただけのものがほとんどであるらしい。今もその状況はそれほど変わりないのだが、レオナルドのように皮膚が残っていれば鱗の様子がヒントになってきたり、場合によっては色素なんかの手がかりが得られるかもしれない。

今後の発見を通して、我々の恐竜のイメージがまた刷新されることは十分に考えられる……というか大なり小なり確実に起こることで、いま我々は恐竜研究の最先端に立ち会っているのだと実感する。展示の中には恐竜研究の年表があり、2020年のものもあった。色について言えば2017年に「一部の恐竜の卵に色が付いていたことが判明」とあり、個人的に目を奪われたのは2016年の「琥珀に保存された恐竜の尾の一部を発見」という記述だ。どのような保存状態なのかわからないが、またしても骨以外の材料が出てきている。ここから分かることに思いを馳せる。胸をときめかせないわけにはいかない。

と、ミイラや琥珀などの発見に感動してきたが、実のところ現状の資料で分かることをとことんまで絞り出していることにも強く心打たれる。首の骨や歯の形状から高いところの葉を餌としていたが咀嚼するのではなく、濾し取るように葉をこそぎとって飲み込んでいたと推測されていたりする。そしてその様子が再現映像にもしっかり反映されている。どこまでも研究ベースの解説・展示だ。トリケラトプスの頭骨内部の研究から脳の様子を推察し、嗅覚よりも低音を聴くことに適していたという仮説を出していたり、アギリサウルスの目を支える骨(強膜輪)が保存されている標本の形状から主に昼間に活動していたと推測されていたりする。足跡の化石なんかもすごいもので、体重や時速や走り方が推測されていたり、親が子をかばいながら肉食竜から逃げている様子が確認されていたりと、なんでそんなこと分かるんだよと驚きを隠せない。制限の多い研究対象からこれでもかというくらいの成果を取り出すことに終始感動していた。

 

 

3.常識が覆る

繰り返しているように恐竜研究はまだまだ途上で、僕らが小さい頃に見たイメージが今となっては覆されている事例が多々ある。ブラキオサウルスはその巨体を支えられるわけがないということで、以前は水中を歩いていたと想像されていたが、今では十分自重を支えられると考えられている。イグアノドンは他の恐竜と同様に陸上を歩くものと考えられていたが、姿勢が見直されて半水中生活をしていたという説が今は有力になっている。それまでの仮説も十分に説得的だったのが、根気強い研究の上に覆されている。

自分の恐竜に対する理解が次々に刷新されていき、中でも面白かったのは恐竜絶滅に関わるストーリーだ。これについては、巨大隕石説を筆頭にいくつかあって決着がついていないところまで含めて比較的有名な話ではある。僕が面白いと思ったのは「ある意味では恐竜は絶滅していない」という主張だ。言ってしまえば、恐竜の一部が鳥類へと進化しているでため、古い恐竜は絶滅していても新しい恐竜の一部が現代にも残っていると考えてもいい、というだけの話なのだが、これはけっこう衝撃的だった。

そもそも鳥類がどこからきているのかあまり把握していなかったというのもある。学校では脊椎動物は進化した順に魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類と習うもので、魚類が肺呼吸などを手に入れて陸上に適応していったのが両生類で、乾燥にも適応して鱗を得たのが爬虫類というざっくりとした理解をしている。追加で知識を仕入れていなかったせいなのだが、この理屈だと鳥類から哺乳類に進化したかのように見えてしまうがそんなことはなく、鳥類からではないとなると哺乳類は爬虫類から進化したのだったかな……? と疑問を抱きながら、放ったらかしにしていた。これが氷解した。というか、その分岐点付近にいたのがまさしく恐竜だったのだ。

 

恐竜博物館で得た知識を整理すると、おおまかに恐竜には鳥盤類と竜盤類がいて、竜盤類から鳥類に進化を遂げる種が現れた。始祖鳥はその名の通りに鳥類へと進化する最初の世代の生物になる。爬虫類と鳥類の大きな違いとして飛行能力だけでなく毛の有無が挙げられるのだが、恐竜の一部では毛があることが確かめられている。爬虫類と鳥類とをつなぐ特徴が見られるのだ。ちなみに例のシンボル的な動くティラノサウルスも幼体では毛があることが確認されているのだが、現段階では成体に毛がある証拠は見つかっていないため模型でも毛はつけていないそうだ。どこまでも科学的知見ベースだ。

脱線しかけたが、要するに恐竜から鳥類が進化していったという線は確定的で、鳥類が現代にも残っている以上、恐竜の一部が生き残っているという意見は考え方次第で間違っちゃいないというわけだ。植物で言えばイチョウや松に代表される裸子植物はその全盛期はもっと昔で、それこそ恐竜が栄えた中生代には森林を形成するほど幅を効かせていた。被子植物の登場後、多くの裸子植物が絶滅にいたったのだが、このように古い生物種が絶滅して一部だけが残ることは珍しくない。恐竜の場合にいかにも恐竜然としたものが一切残っていないことにロマンを感じる面もあるにはあるのだが、むしろ当時から生きていた種が今も生きているという方が例外的で、だからこそシーラカンスなんかが生きた化石と呼ばれて珍しがられるのだ。脱線しまくって恐縮だが、イチョウも実は生きた化石で自然生息域は中国のごく一部の領域に限られてその点で絶滅危惧種であったりもする。奇妙といえば奇妙な話だ。

話しそびれていたのが一般に翼竜と呼ばれる連中の話で、実はあれらは鳥類への進化にまったく噛んでいない。それどころか現代の恐竜の定義からすれば恐竜ですらない。定義と言うと人為的に仲間はずれにしているように聞こえてしまいそうだが、進化学的にはけっこう早期に分岐しているため、飛べるからと言って鳥類と親戚なのではないことは違いないようだ。進化的に離れていても同じ形質を持つことを収斂進化と言ったりするのだが、そんなところだろう。おまけで言うと海獣という海の恐竜も定義的には恐竜ではないとのことだ。どれもこれも全然知らなかった。常識とすら思っていなかった曖昧な知識が次々に覆される。

それから哺乳類への進化についてだが、正直この辺の整理はあんまりついてない。少なくとも爬虫類の一部が恐竜方面へと進化するよりも前に分岐して哺乳類の先祖にあたる生き物が生まれたとされている。間違ったことを言ってるかもしれないが、単弓類というのが哺乳類の先祖にあたるグループだそうで、なんなら両生類の頃から双弓類(恐竜含む爬虫類グループの祖?)と分岐したという話が最近は主流っぽい。となると、もはや爬虫類から哺乳類とも言えないようで、生物学の進歩を目の当たりにしている。というか自分だいぶ無知だったんだな。

 

 

4.まなざしの広がり

以上が知的好奇心が刺激されたという話(の一部)になるのだが、そこでも見られたように知識と好奇心は次々に広がっていく。恐竜の化石がある展示の次に待っているのは地球科学のエリアで、造山運動や断層や岩石の特徴など地学分野の展示がある。ここの気合の入り方もなかなかのもので、断層をそのままひっぺがして貼り付けていたりする。深成岩とか堆積岩とかの系統ごとにターンテーブルがあって、それぞれ10個くらいある石それぞれについて解説がモニターに表示されるなど、今日中に返すつもりのない展示だ。フロアを上がると古生物のエリアも用意されていて、知的好奇心の広がりはとどまるところを知らない。

 

しかしもちろん、というか今まで言及しなさすぎなのだが、化石が生きていた過去へと想いを馳せることが化石を見る醍醐味のひとつだ。知的好奇心が広がっていくように、過去へ向けるまなざしが遥か過去へと届くような壮大な気持ちになる。恐竜が生きた古生代というのは大変な昔というのもおこがましいほどの昔だ。人間の一生の間にも無数のことが起きて、そのことで苦労しながら長々と生きているのに、それでも一般的に100年いかない程度だ。というかまだ全然そんな生きていない自分の年齢でもそこそこ長く感じる。そういうことの積み重ねで歴史があるわけだが、古事記が書かれたのが8世紀はじめという話で、それから信じられないほど多くのことが起きているのに、それでも1300年かそこらだ。恐竜が生きた中生代の終わりが6600万年前ごろというのだからそのスケールのヤバさがわかる。6600年を1万回繰り返すのだから意味がわからん。しかもそれは中生代の終わりごろの年代で、中生代初期ともなると2億5000万年前らしい。途方もないことだ。

「億年」という、およそ体感では理解できないタイムスケールを超えて存在しているのが恐竜化石であり、その年月を目の当たりにしていることに気づくと眩暈がする。それほど長い間、分解されず残っているというこの事実が凄まじいものであるし、過去の出来事が保存されている化石を通して億年の片鱗を感じるようだ。

 

そういった感動の最たるものを二つ紹介しておきたい。ひとつは二頭の恐竜が組み合って格闘している状態で発見された化石だ。先のカマラサウルス同様に全身骨格が保存されているという点で学術的な価値も見逃せないが、まさに遥か過去の出来事がそのまま保存されていて、それを間近に見ているという体験は凄まじい。え、あれ本物だったんだろうか。正直、本物かどうかもはやわからないのだけれど、恐竜二体が組み合って爪が刺さっている状態で見つかったのは事実なわけで、複製だろうと何だろうとその事実に対する感動は消えるものではない。

もうひとつはなんと恐竜ではなくガブトガニだ。「死の舞踏」と題されたその化石は足跡が続いた先にカブトガニ本体があるという状態で保存された実物の化石だ。説明を重ねなくてはいけないのだが、まず順当に続いていた足跡に反して本体付近だけ乱雑に跡が残っていて、生前の最後にばたついていたことが読み取れる。また、足跡の化石はへこんでいるとは限らず、上にかぶさった地層の方が採取されれば盛り上がったかたちで残ることもあるのだが、この化石の場合は盛り上がっている側になる。そのため歩いているカブトガニを下から見た図が保存されているはずだ。しかし、この化石に残っているのはカブトガニの背中側だ。これらを総合すると、せっせと歩いてきたカブトガニが何らかの理由でひっくりかえってしまい、体を起こそうとばたつかせたという状況が浮かび上がるのだ。起き上がれず絶命した直後に地層に埋もれたのか、ばたつかせているまさにその時に埋もれたのかは僕には判断がつかないが、化石ひとつからこれだけのことが読み取れるという面白さがあるし、億年単位の昔の出来事を現代にあざやかに蘇らせることに感動を禁じ得ない。心を向けないと聞こえない化石の語り草は、果てしない過去が実在していたことを証しする。このことに深く心を打たれるのだ。

 

 

5.面白い!

実を言うと、このカブトガニの展示は初っ端にある。入ってすぐ正面にある大きなエスカレーターで三階から地下一階に降りていくのがまずわくわくなのだが、地下一階の短い廊下の壁の左右に化石がずらっと並んでいる。「死の舞踏」は左側一番手前にある。この廊下にあるものは全て本物の化石だそうで、恐竜が出てくるまで盛り上げる前座のように見えて、その実かなり気合の入った展示なのだ。廊下の突き当たりには先に述べたカマラサウルスの全身の化石が生体のときのままの配列で残っていたものの再現複製があり、これも恐竜研究の困難を思えば興奮冷めやらぬ展示であった(無知な僕はこのことに後から気づく)。それを眺めて階段を上がれば一面に恐竜化石がズラーッと並んでいてティラノサウルスが動いていて……と、とても演出的な展示となっている。

まわりながらずっと音声ガイドを聞いていたのだが、ガイドの順に進むと全部のエリアをくまなく回ることができる。しかしそのガイドが好きな順に回ってくださいと度々言う通り、興味があるところへ行くことを阻害しない開放的な空間配置でありながら、ガイドに従えば見えてくるような動線がきっちり引かれていたりもして、親切な案内が用意されてもいる。好きなようにまわることもじっくり見ることも許容しており、アミューズメント施設としてとても優秀だ。それでいて入り口の最初だけはルートを定めて演出するところはきっちり決めていて緩急も見事。たいして興味もなかったはずなのに、最初の数分で心を鷲掴みにされてしまっていた。

解説の充実具合に長時間滞在を決めてしまったのだが、ただ眺めるだけでも楽しいし、好きなタイミングでミュージアムショップにもレストランにも行けるし(レストランのメニューも遊び心があった)なにがしかの体験コーナーもあるようだ。1日で満足できないくらいのボリュームがあって、心ゆくまで楽しませようという矜持を感じる。それはひとえに「恐竜って面白いよね!」という思いへの信頼でもあって、関係者一同の恐竜愛を感じる。そういう風に作られた施設が面白くないわけない。超楽しかった!

 

 

帰路

以上が恐竜博物館についての感想になる。旅行記に戻っていくが、恐竜博物館をたんと満喫したので今日はもう帰宅するのみである。当初は余った時間どうしようかな~などとうっすら考えていたのだが、そんな余裕はないし必要もなかった。

博物館から勝山駅までバスで行き、そこから電車ではなくバスに乗って越前大野駅に戻る。福井駅からV字に電車が二本出ていて片方が勝山、片方が越前大野方向へと伸びているのだが、それぞれをつなぐ電車はない。なので電車を使いたければ福井駅を一旦経由しなくてはならず、バス利用が合理的になる。バスで駅にきてバスを待つのはちょっと新鮮で、電車を利用しない人間が駅の待合室を使うのはどうなのかなと思ったりもしたのだが、そういうの都会の悪いところに染まってる感じもする。

駅について宿に戻るまえに越前大野周辺を真っ暗ななか観光しておいた。一応この辺も古い街並みが残る観光地であって、旅館もそこそこある。何も調べずに宿をとってたので着いて初めてそういうことを知った。真っ暗なのでろくにわからないが、翌朝歩くとした場合の想定をする下見的な目的もあったので別にかまわない。その足で昨日とは違うところで夕食を済ませた。これも宿の人に紹介してもらった地元の定食屋さんで、良心的な値段で美味しいご飯がたっぷりだった。ある種の観光地にありがちなガツガツした感じがなく、それでいて余所者にも排他的でない雰囲気がありがたい。心穏やかになる。

宿に帰って宿の兄さんに、恐竜博物館が死ぬほど面白かったことを報告し、送ってくれたことのお礼を改めて伝え、夜はのんびり過ごして22時に部屋に戻った。今日は自分一人しかいなかったので消灯時間を過ぎて荷造りをするというズルができた。翌日が最終日なのが信じがたいが、長い旅路を満喫したせいか、福井のスローライフに浸っているせいか、名残惜しいとかはない。まぁ帰った後も無職期間は少し続くのがでかいというのはある。

北陸旅行6日目 移動

この日は中身がない。驚くほどない。旅行中に中身がないことあるか?

いやもちろんゼロではないのだがミスやら何やらが重なってほとんど移動で終わった。充実した前日に比べると中身がかなり薄いが、連日あんな充実してても疲れてしまうのでね。

 

 

近江市場

金沢の宿を出たのが8時くらいで、荷物を一時的に預けて近江市場の海鮮を食べに行った。やはり海鮮をもう少し食べておきたい気持ちに嘘はつけなかった。比較的安くて評判もよさそうな回転寿司に足を運んだ。回転してるのは湯飲みと醤油皿くらいで、もはや回転させる必要ないのだろうなと思う。

行った店ではランチ限定なのか700円で10貫のセットとかもあって、コスパが良さそうであった。ただ、のどぐろも込みの2000円セットがあり(海鮮目当てで旅行来てるしな……)とこちらにした。結局それなりに払っている。お金を落とすことが大義名分になっているのか、望んでないものにもお金を払おうとしているのか、たまにわからなくなるが、一応今回はのどぐろ目当てということで納得した。やっぱりのどぐろ美味い。とはいえ舌を満足させる水準が一段階上がってしまった感があって不安が残らないでもない。いやなんで寿司食ってネガティブになってんだ。

寿司を食べ終わったら土産物を物色した。のどぐろ関連を……とも思ったが、意外と地元のものではなかったり加工めっちゃしてたりとかで手が出にくい。干物とかもしれっと輸入ものも多くてなかなか困ったのだが、ほたるいかのソフト煮干というのを見つけた。原材料に「ほたるいか富山湾産)」しかないのは最強だった。

 

 

移動

金沢を離れる前に心残りはあるような無いようなで、強いて言えば国立工芸館にやや興味があったのと、喜八工房に挨拶に行っても良かったのとだが、いかんせん雨がすごいので足が重かった。まともに調べていないせいで福井への移動時間がよくわからなかったのもあり、とりあえず出発することにした。東京感覚でとりあえず駅についてから調べたところ、いたるところで待ち時間が発生することが分かった。とりあえず土産物などを見ながら目的の電車に乗り、昨日ぶりの加賀温泉駅を通過し、福井駅に到着した。その間、本を読んでようかなとも思ったのだが、旅行記がその時点でけっこう延滞していたのもあって続きを書いた。なるべく記憶が新しいうちに書き残したい。

福井駅に着くと今度は1時間待ちになるので駅を散策をした。福井駅も新幹線が開通する予定の駅で、着々と工事が進められていた。改札を出る前から目立っていたことだが至るところに恐竜がいる。新しくできたであろう屋上広場には恐竜模型がいくつもあって、デフォルメされたちっちゃい恐竜がベンチの角で寝てるのがかわいかった。駅前広場には動く恐竜模型があって、片方はフクイティタンというやつらしい。名前からしてこの辺で見つかった新種ということだろう。恐竜が有名と聞いてはいたが、こんなにワクワク恐竜ランドだとは思っていなかった。

ちょうどいい時間になったので九頭竜線のホームに上がったのだが、様子がおかしい。どうやら金沢行きとなっていて、はてこの電車は金沢へ行くのだったかと思って時計を見ると発車予定時刻を数分過ぎている。見れば今いるのは1・2・3番線ホームで、僕が乗る予定の九頭竜線はホームの端っこにだけ存在する2番ホームに停車していて、いつのまにか出発していたらしい。調べると次の電車は約2時間後だ。この手の田舎の電車あるある、聞いたことはあっても自分で体験するのはたぶん初めてだ。一回外に出て時間を潰そうと思い、駅員さんに事情を話したところ「あぁ……」と本気で同情され、入る時に見せてくれればいいよという話になった。ありがとうございます。

 

幸い駅前にはちょっとした商業施設みたいなものがあったので、プロントに入ってさっきの旅行記の続きを書いていた。頑張れば城跡とか福井駅周辺でも色々あったようなのだけれど、すでにちょっと暗くなっていたし雨もしっかり降っているので諦めた。というか連日の旅行でちょっと疲れが目立っている。思い返せば羽を伸ばす系のことほとんどやってない。ずっと座りっぱなしでもまぁいいでしょう。

今度は少し余裕をもってホームに待機しておいて、時間になると古めかしい電車がやってきた。運賃箱とかがある。事前に勘づいて切符を買っておいたのだが、やはり切符しか使えないようだった。学生がけっこう乗っていたのだが、彼らは毎日この少ない本数の電車に乗って通っているということか。放課後の時間もあまり融通が効かないだろう。大変だ。自分は都内の学校に通ってて通学時間が長いことをぼやいてたものだが、世の中には色んな苦労があることを当時の自分は知らなかった。

 

越前大野

車窓からの景色は眺めようもなかった。外は真っ暗闇だし、結露がすごいし、そもそも窓にカーテンがかかっている。携帯をずっといじるのもなんかな~と思って先日買っておいた徳田秋聲の文庫を読んだ。1時間ほど経って越前大野駅に着いた。ここに本日の宿がある。

雨が降りしきる中、閑静な町並みをスーツケースを爆音で転がして申し訳ないし心細いわ寒いわ濡れるわでちょっと大変だった。宿は古民家を改装したゲストハウスで予約時に見た写真は渋くてかっこよかったのだが、真っ暗でなんも見えなかった。宿泊手続きを簡単に済ませ、荷物を置き、宿の兄さんに教えてもらった近所のご飯どころへ行った。暗すぎてどの店も閉まってることも覚悟していて、万が一のために持参していた非常食を食べることも念頭においていたのだが、普通にやっていて助かった。

入った定食屋さんで頼んだのは醤油カツ丼にミニそばがついてくるセット。あまり知らなかったが醤油カツ丼はこの辺のちょっとした名物で、そばもこの辺は美味しいらしい。ちょっぴり地元っぽいのを食べれたのは運が良かった。聞けば越前大野は盆地にあり、住民の大半は地下水を利用して生活しているということだ。その水がとても美味しく名水として知られ、それでそばも美味いのだとか。醤油カツ丼はわからない。あまり食べたことない雰囲気だけど美味かった。

 

宿に着くと宿泊客が一人いて、今日泊まるのは我々だけのようだ。ふた回りほど離れた方だが親しみやすく、なかなか面白い人生を歩んでこられたようで最終的には宿の兄さんを巻き込んで、三人で数時間たっぷり雑談していた。こういうのだよ。こういうの。ゲストハウスに泊まる醍醐味は。

例によって翌日の予定を全然決めていなかったので、二人にアドバイスを求めた。越前大野内の見所を教えてもらえたのだが、恐竜博物館に行ったことがないことが知れると絶対行ったほうがいいと言われた。どこかのタイミングで行こうとは思っていたので、翌日とりあえず行くことにした。宿の兄さんが福井まで用事があるということで、行きしなに恐竜博物館まで送ってくれることになった。他に客のいない時期だからできることだろうが、正直かなり助かる。公共交通機関を使うと本数も限られるし早くても1時間かかるところを20分程度で済む。ありがたく乗せてもらうことにした。消灯時間を過ぎていたのでいそいそと寝室に戻って眠りについた。寝室は異常に静かで心臓の鼓動まで聞こえそうなほどだ。福井に来てからこっち時間がスローになった気がしているのだが、電車の待ち時間や寝室の無音のような何もない時間が長く引き伸ばされて感じられるからかもしれない。

北陸旅行5日目 山中漆器

先日ひがし茶屋街に行った際、いいお店を見つけていた。喜八工房(https://kihachiweb.official.ec/ )というところで、製造元から直接卸しているため直売価格で販売してくれる良心的な店。また食器についての解説もしていただけた。申し訳ないことに何も買わずに話すだけ話して出てきたのだが、山中温泉の方まで行けば一応何店舗か山中漆器のお店はあるよと教えてもらっていて、何はともあれ本場を見たいということで行くことを決意した。喜八の店主さんからは、山中漆器目当てで行くと店も少ないし小さいしガッカリすると思うよと釘を刺されていたため、とりあえず温泉に入るという目的を用意しておいて山中漆器を見に行った。

 

 

加賀温泉駅

最寄駅は加賀温泉駅になり、全然知らなかったのだが3月から新幹線が止まるようになる。これから改札ができるはずの空間があったり、正面出口になる予定の広いところで何かが養生されていたり、駅前広場が工事されていたりと「まだ新幹線が止まってない駅」に訪れるという貴重な体験をした。一時的な状況なのだと思うのだけど、Suicaは使用可能でタッチするパーツがついた棒が立っている一方、改札自体は存在しないので切符は箱にぽいと入れる形式だった。切符だけ使えるのは覚悟していたのだが、これは肩透かしを食った。

古い建物の傷跡とかに昔生きていた人たちの痕跡を見つけるとき、現在において過去と出会っているなぁ〜と感じるのだが、完成形が見えそうな途中経過の加賀温泉駅を見ていると未来の痕跡とでも言いたくなるようなものを感じる。痕跡ではないので萌芽と言うのが多少正確なのかもしれないけれど、なんとなく痕跡と言いたくなる。未来であったとしても今ココに跡付けられているような気がする。

駅を出てすぐバス停があり間もなく乗車できた。バスからの景色はなかなかどうして見事なもので、遠くに山並みが望める。今日も今日とて晴天でかなりしっかり見える。旅行中天気に恵まれすぎ。途中で見かけた神社もかなり雰囲気が良くて、よっぽど降りようかと思ったほどだった。目的地が他にあるのとバスの本数も多くないのとで諦めた。こういうときは自動車があると便利なんだろうな。どうでもいいけど、このバスは行きも帰りもめっちゃ酔った。

 

 

山中漆器

この辺は温泉街なので山代温泉山中温泉などがあり名前がごっちゃになる。僕が降りたのは山中温泉エリア、菊の湯前バス停。ちょうどここからゆげ街道と呼ばれる古き良き温泉街風の通りになる。昔の写真を見るともっとだだっぴろく道があるっきりだったから、あくまで古いっぽいと言うにとどめた方が良さそう。昔の写真というのは大当たりを引いた漆器店に飾ってあったもので、最終的にここでお買い物を果たす。

先に言っておくと、山中温泉マジでいい。鶴仙渓という渓流沿いの遊歩道もかなりいいし、山中塗の最高なお店あったし、栢野大杉という樹齢2300年の杉もかっこよかったし、菊の湯も観光客に媚びる気配がなくて良い。自分にちょうどハマったという側面もあるので、他の人におすすめできるか分からないが、僕はもう一回来てもいいくらいのテンションではある。

 

ひとまず山中塗を求めての道程だが、喜八の店主さんにオススメされたものは全店まわった。といってもごくわずかしかないのだけれど、実はそのうちのA店の店主は喜八の人と親戚関係らしい。また、A店の店主が昔持っていた別の店を譲り渡して新たに始めたのが通りの先にあるガトミキオというおしゃれ路線な店にあたるらしい。要するに全体的に身内が集まっているかたちになる。

結局A店で買った。店名伏せても一瞬で特定されそうだけど、店主は職人気質な方でおおっぴらに語られたくないかもな~ということで一応。散々山中塗の妙やら木地師の腕の見せ所なんかを教えてもらいながら商品を見た挙句、全店舗見てくると言って店を出て、全部まわったあとでその店でずっと目をつけていた一品を入手した。市場で買うより3000円くらい安いとの話だが、損得で言えば交通費も込みでトントンになる。金額より何より嬉しいのは(買ってない商品も含めて)職人から直接説明を受けられたことと、どういう品なのかよくわかった上で買えたこと。

たとえば数日前の喜八工房含め金沢の土産物屋で聞いた話だと、山中塗はウレタンを塗料に用いているので、輪島塗よりは耐久性は落ちるけれども木目がしっかり見えるし安いということだった。が、もちろんウレタンを使い始めたのは最近の話で、昔は漆を主に使っていたし今も使っている。店主が職人さんなものだから、置いてある商品のうちでどれが漆を使っていてどれがウレタンであるかは当然把握している。まぁ塗りくらいは僕も見てわかるのだが、どの木から切り出したものかとかは言われないとこちらには分からない領域だ。それぞれの木の特徴についても一言添えてもらえるとなれば、どの木から作られたものかなども選ぶ基準になってくる。実のところ土産物売り場にあるものは切り出してきた木ですらなく、木粉を樹脂で固めたものであることも多々あるようだ。別にそれも食器として使えるし、軽いし、食洗機対応だったりするので悪いものではないのだが、愛着を育てていきたくなるような食器とはならない。目が肥えればモノとしての良し悪しも見えてきそうな面白さもあるが、それを差し引いても自分が買う食器が何からどうやって作られたものなのかが分かっているということの価値はとても大きい。

 

最終的に僕が買ったのは欅の木地に漆塗りをした飯碗で、溜色と呼ばれる色で塗りが施されている。拍子抜けするほど軽いので重厚感を好みがちな自分にしては異例の選択ではあるのだが、その薄さを普段使いで試してみたかった。それから木目を好むタイプなので濃く漆が塗られているものを選ぶのも異例だったのだが、店主によると次第に漆の色が淡く薄くなっていって木目が見えるようになるものらしい。使い込むほどに馴染む道具のようなところに心惹かれたのが決め手としても大きい。

みんなにそうしているのだそうだが、類似の品を在庫から取り出してきてくれて、どれがいいか選ばせてもらえた。同じようにやってんだけど塗りの出方が全然違うんだよ、と言っていたとおりにけっこう個性がある。僕の選んだのは店頭に並べてあったもので、店主曰く結局棚にあったのを選ぶ人が多いのだという。まぁそれに惚れて選んでるんだもんな。他のものは比較的塗りは薄めで黒よりは赤っぽい色味になっていたり、いくらか木目が見えやすかったりしていた。それぞれ惹かれるところがあったが使い込んで変化を楽しむ方に賭けたかったので現時点で一番濃くてこのままでも雰囲気のある色味のものということで最初の一品に決めた。

この後に菊の湯に入って帰りのバスに乗ることになるのだが、街中を一周してきて心を決めて購入に至ったので、要するにこの時点ですでに色々まわっていた。時系列を遡ってこれらについて書くとして、もう少しだけこのお店での思い出を。午前に来た人間が午後にもう一回来店したせいか、やたら熱心に一品ずつ見てたせいか、あれこれ質問してはリアクションをよくとったせいか、まぁまぁ気に入ってもらえたようで「山中塗の一番の特徴」というのを教えてもらった。誰彼構わず話さないことっぽいのでここでも別に言わないが、そういうのを教えてもらえるのめっちゃ嬉しい。

 

 

夢幻庵

1回目に陶芸店を出た後のルートとしては、ゆげ街道沿いに店をまわって、ちょうどその位置にあるこおろぎ橋で景色を楽しんだ。名前には風格がないがめっちゃ綺麗で、鶴仙渓という遊歩道の終わりにあたる場所でもある。ゆげ街道と並走しているので、鶴仙渓を歩いて引き返す予定だったのだが、目に入った夢幻庵に入り昼食をとった。その後、思いつきで栢野大杉まで遠征して、ふたたびこおろぎ橋に戻って鶴仙渓を歩いて、例のお店に戻って購入、菊の湯へという流れになる。ひとまずは夢幻庵のお話。

加賀藩家老武家書院という肩書きがついていて、元は金沢にあった屋敷をこちらに移してきたらしい。建物の移動ってよく聞くけどどうやんだろう。手間暇かけたに違いないだけあって見事な作りなのだが、なんとここ廊下で繋がった新しい喫茶店があり、渓流を眺めながら食事をいただける。かなり風情があって和む。和まざるを得ない。しかも食事代に観覧料が含まれているとのことでお得である。

入る時に銅鑼を鳴らして人を呼ぶシステムで、入り口に銅鑼がおいてあった。なかなか良い音がするので聴き入っていたのだが、人が来る気配がない。横に「聞こえないこともありますので誰も来なかったらご自由にお入りください」という書きつけがあったので自由に入ることとした。たぶん大抵聞こえないんだろう。銅鑼叩けたの気持ちよかったけれど、知らない土地で恐る恐る銅鑼を叩いただけの人になってしまい、一人しかいないのに所在なかった。

店ではカレーとケーキセットを頼んだ。でっけーお盆みたいなさらにちょこんとカレーが乗ってきて、少ないんだか多いんだか見た目にわからない量だったが、しっかり一人前あったしなんなら美味かった。1200円で、観覧料込みの観光地価格としては安いよなと思っていたのだが、別にカレーだけでこの金額もってってもいいくらいだ。スパイスが効いていて晴れていてもしんと冷える外を歩いてきた体が温まるのを感じる。ついでに言えばカレーが乗ってきたでっけーお盆みたいな皿は見るからに漆塗りで、山中のものという話だ。僕が聞いたのに「七角形は作るの難しいらしいんです〜」と後ろの客たちに解説していた。なぜ……。ともあれ出てくるものは美味しいし品があるし、なかなか良いお店。それでいて大きなガラス越しに渓流を眺める綺麗な空間となれば、ここを目当ての一つにして訪れてもいいくらいだ。

 

くつろいだあと夢幻庵の方にも行ったのだが、広いお屋敷というのみならず意匠が凝っている。相当なお金をかけたらしい。欄間(らんま)というのだが、木を彫って松とか雲とかの景色を作り上げている。欄間自体はまぁまぁ見かけるが、なるほど立体感がすごくて裏からだとまた別の表情を見せる。木を彫って松を作るのなんか笑っちゃうなと書いてて思ったのだが、そのときはただ見事なものだと感心していた。

店の人曰く高欄に黒柿を用いていて贅を尽くした作りであるという。そこそこ植物に詳しいのだが、黒柿ってなんて木あったっけかと後でこっそり調べたところ、普通の柿の中になぜか一万本に一本くらい芯が黒いものがあって、木材としての美的価値が高く希少なため極めて高価であるとのことだ。なるほどね。これに関しては金かけたもん勝ちみたいな拝金主義的な気配を感じないこともないが、希少な木材を間近で見られるのは良い機会だった。

 

 

栢野大杉

事前にもらっていたリーフレットの中に心惹かれる写真があった。行きのバスの終点にもなっていた栢野(かやの)にあるという神社で樹齢2300年の杉がある。植物好きとしては気になる。これを逃したら二度とここまでは来ないかも、ということで少々無理をして向かった。徒歩で片道30分ほどかけて訪れ、帰りはちょうどいい時間にバスが来るので、それでこおろぎ橋まで戻るプランをとった。

知らない土地をぶらつくのは時々やるのだが、目的地があって歩く場合だと妙な不安が生じるのはなんなんだろう。そわそわしながら歩いて、フォロワーが紹介していた曲をspotifyで流して時間と不安を消化した。

神社自体はかなりこじんまりとしていて、杉の巨木と小さなお社があるのみだ。メインとなる巨大な二本の杉の他にも普通にめちゃ大きい杉が立っていた。杉はやはり見事で、根を保護するために歩み寄ることはできない設計になっているが樹皮はさわれるくらいの距離感にあり、その大きさを実感する。両手を広げて抱きつこうとするならもう4~5人必要になりそうな立派な幹だ。

 

樹皮には一部苔むしている領域があって、驚くことに湯気が出ている。ちょうどそのあたりに光が差している時間帯だったから苔の呼吸が盛んになって水蒸気が多く出ていたのだろうか。幻想的であるのでこれ以上語るのは野暮でしかないのだが、苔が湿潤な環境にいることをついうっかり実感してしまう。

完全に余談なのだが、荒れ地から極相に至るまで植物群落の種類が変わる遷移という考え方がある。荒れ地にまっさきに生えるのが地衣類や苔で、苔によって十分な水分が確保されると次の植物たちが育つ環境が整うという流れになる。遷移自体は最近では疑問視されることも多いのだが、苔が他の植物が育たない環境でも生育する能力が高いのは事実だ。だが、苔は実は乾燥に弱い側面もあって、群落状に育っている苔の真ん中をひょいと採取したりすると、隣の個体から出ていた水蒸気やなんかが失われて一気に乾燥し、採取した周りからどんどん枯れていくことがある。苔スケールでは環境が大変化しているというわけだ。

たとえば苔寺のような場所でたくさんあるんだからちょっとくらいいいでしょと苔を一部持って帰ってしまう不埒な輩が許されないのは、単に窃盗であるのみならず、その周囲一帯の苔を損なう恐れのある暴挙だからという理由もある。微気象とも呼ばれるが、ごく部分的な環境の温度や湿度などの条件が苔を生かしていて、しかもそれは苔自身によって作られている。苔の環境を作り上げる能力の高さがうかがわれるこうしたエピソードは知識としては持っていたのだが、いざあれだけドバドバ水蒸気が出ているのを見るとちょっと感動してしまう。とか言って湯気が苔と何にも関係なかったら恥ずかしいのだが……

 

 

鶴仙渓

予定通りバスでこおろぎ橋に戻り、鶴仙渓の遊歩道を歩く。見事な快晴だったのだが他に人はほぼいなかった。おかげで川の流れる音を独り占めして、写真も撮り放題。めちゃめちゃ撮った。対象が優れているので自動的にプロのカメラマンになれる。そんなことはない。ないが、いい写真はめっちゃ撮れる。

滞在時間がそこそこあったわりには書き残すことは少ない。めっちゃ良かったから色々書きたい気持ちもあるけど、ああいう自然景観に囲まれてリラックスできるのって癒し体験であって、知的生産性とかとは無縁なのでブログには向いていない。でも旅行先には向いている。

そういえばこの辺にも苔は潤沢で、こちらは川付近ということで環境由来の湿度が高いエリアだから苔と一口に言っても栢野大杉の苔とは条件が異なる。と思うのだが、それぞれで生えている種類まではわからない。苔も詳しくなれたら色々見えるものも変わってくるんだろうな。

 

 

菊の湯

例の漆器の店が17時までで菊の湯は遅くまでやっているので先にお椀を購入してからゆっくり温泉につかった。昔ながらの大衆浴場でタオルもシャンプーの類も一切なし、ドライヤーは一回10円だが一回何分なのか表記がかすれて読めないといった様子。番頭に切符を見せて入る形式で、地元の人が多くいた。この雑な感じがとてもいい。

おもてなしが日本の美徳として取り上げられてからけっこう長いが、クレーマーの意見をいちいち聞いて過保護になっている場合もあったりして、日本人のメンタリティを良いように言ってるという側面もなくはないんじゃなかろうかと思う。

菊の湯では、障害者優先のロッカーを用意していたり、刺青入りの人が入浴していたり、地元の人が僕のことも刺青の兄ちゃんのことも気にせず普通に入っていたりしたのを見て、多様性に寛容であることと利用者の自己責任に委ねた不親切設計であることとが結びつく手応えがあった。おもてなしと言うには親切すぎる配慮は、得てして健常者の暮らしをもっと便利にするための努力を進めたりするもので、健常者を基準とするものの見方を助長するような気がしなくもない。不親切設計は自分の裁量でなんとかできる範囲の広い人間が楽をすることを許さず、冷たいと言えば冷たいのだが、自分の裁量ではなんとかならない人には目が行きやすいだろうし、逆に自己責任をとれる人間なら刺青などの見た目で判断することもしないサバサバしたところがある。

というのはかなり駆け足な議論で、どこかに粗がある気がしている。ひとつ言えるのは足が不自由な人には全然配慮してない温泉だということで、なんと湯船が深さ1mほどある。立つとみぞおち下くらいまでお湯が張ってて、けっこう気持ちよかったのだがバリアフリーでは全然ないので、あまりその方面では持ち上げるつもりもない。ただ、この雑で不親切な「もてなし」は懐が広くて個人的にけっこう好きだった。ちなみにドライヤーは10円でもけっこう乾いた。

 

 

赤玉

温泉から出てバス停まで歩く。菊の湯前にもバス停があるが、少し歩いたところに一部バスの終点になるようなところがあって本数が増える。待ち時間をどうしたものか思案していたが、途中に芭蕉珈琲という喫茶店があり、17時に一斉に店が閉まるこの辺には珍しく19時まで開けてくれている。そちらで湯冷めしないよう温まりながら時間を潰してバスに乗り、加賀温泉から金沢へ戻った。

金沢最後の夕飯は赤玉という有名な店のおでんにした。この前も食べたが普通に美味い。海鮮目的で北陸に来たわりに海鮮をあんまり食べてないのだが、まぁ美味いもの食べれるならなんでも……。閉店間際に入ったのもあって追加注文がほとんどできなかったのが残念だが、店を出て歩いてるうちに腹八分目のような気がしてきたのでちょうどよかったのだろう。日本酒とおでんってベタな組み合わせだがあまりやったことがなかった。思ってた以上に合う。東京帰ってからもやりたいな、これ。

北陸旅行4日目 高等遊民の日

雪。けっこうな雪。前日までの晴れで余裕をかましていたが雪がやばすぎて宿から出る前に一回部屋に引き返した。兼六園は雪吊りが有名なので雪は願ったりでもあったのだが、結論から言えば雪吊りに積もるほどではなく、ひたすら寒くて暗い天候の中を散策することになった。

あまりにも自由な旅行プランなので宿を出るまで今日どこに行くかまったく決めておらず、雪だから兼六園でも行こうかなというテンションで、我ながら自由すぎる。予定段階で明らかに日数が余るので、どこかで1日金沢市民のフリでもしようかなと思っていたが、今日がその日らしい。と思ったのだが、眼前に見える金沢市民たちは普通に出勤途中であったりして、僕がやってるのは市民というか高等遊民だなと思い直し、今日の予定は1日金沢市在住高等遊民体験ツアーに変更した。

不思議なもので、高等遊民ともなると仕事をしていないことへの優越感がない。そういうのは有給をとって同僚が忙しそうにしているのを想像するときに得られる感覚であって、無職ともなると休み明けへの懸念もなく仕事という名の俗世への執着(しゅうじゃく)は滅尽する。焦燥感のあらわれなのか、さすがに罪悪感めいたものは感じるが、そこは期間限定の高等遊民ということで世間にも自分にも許してもらおう。

 

 

兼六園

そんなこんなで兼六園に入った。噂の通り広々とした庭園で、池と松とが雅に配置されていて池松雅さんになった。雪吊りには雪がなかったが足元には雪が積もっていた。人もたぶん少ない方なのもあって、踏んだ形跡のない真っ白なところも残っていて、なかなか趣があった。庭園内が広すぎて半ば迷子になり、どこがまだ見ていない場所なのかわからなくなりながら散策した。

庭園内にいしかわ生活工芸ミュージアムというのがあったので、そちらを見学した。石川の伝統工芸を集めて解説をしているところで、工芸品好きとしてはかなり楽しめた。特に山中塗について木材の材質ごとの特徴が書かれている展示があったのが面白かった。ほとんど忘れてしまったのでメモしてくれば良かったとけっこう後悔している。ミズメザクラだったかな、どれかが「散孔材で放射組織が目立つ」みたいな記載があったのがマニアックだった。僕は興味あるし勉強してるからスムーズかつ実物を見ながら興奮気味に読めたのだけど、興味ない人に分かってもらうつもりなくて笑ってしまった。

 

兼六園をまわりながら空腹が気になって仕方なかったので外へ出て店を探した。金箔ピカピカぬれおかきや金箔ソフトがあるのは知っていたが、金箔を食べる理由が人生で一度も理解できたことがないのでやめた。退職前に同僚に「金箔ソフト食べてきてくださいよ~」と言われていたのだが、申し訳ない。やはり意味がわからなかった。食べたら写真を送りますねとは言ったが、同時に写真が送られなかったら食べなかったと思ってくださいとも言っておいたので、向こうで察してもらえるだろう。

やや歩いたところに地元の人も使いそうな喫茶店があり、自家製カレーを食べた。自家製とあるのでちょっと期待したのだが、いわゆる金沢カレーでもなく、量産型のルーの味がした。「自家製」表記に関する優良誤認はどこに判断基準があるのかな〜と(別に訴えるつもりではなく好奇心から)考えながらご飯を食べた。後から入った客のうち何人かは店主と顔なじみで、仕事が進まないと愚痴っていた。聞けば金沢城の城壁を直す作業に関わっているようで、ひそかにエールを送った。

前日にも災害派遣と書かれた自衛隊の車を一度見かけていて、通常運転に見える金沢でも余波があることは疑いえない。金沢城だって今は立ち入り禁止にしているし、21世紀美術館も休業中だ。

 

 

金沢百番街 〜 ラーメン屋「神仙」

食後少し街をぶらついたが寒すぎて一度宿に帰還した。観光地の近くにあるのがありがたい。このエリアに異常に宿があるのも理解できる。

一休みしたのち、お土産を物色しに金沢駅百番街へ。退職のときにお礼の品代わりにお土産送るのでと言っておいたので、元職場に送る一品を探してまわった。結局「たろう」という地元の和菓子屋さんのちょっとおしゃれなものにした。魚介系のものとか加賀棒茶とかの方が石川っぽいのだけれども、まぁ退職の挨拶的なものも兼ねているので、お菓子にしておいた。実際とてもかわいらしくてお洒落。石川のものだし、良い品を選べたつもりなのだが元同僚たちの反応が見えないので、どう受け取られるのかちょっと心配ではある(ちなみに郵送した翌日には届いたらしい。感想は聞いてない)

その後、昨日買っておいた徳田秋聲の小説を読んだりなんなりして時間を潰し、評判のいいラーメン屋に足を運んだ。駅から30分、宿からだと片道50分。これぞ高等遊民ムーブ。冷静に考えて、学生のとき以上に時間があって貯蓄もあって次の職も決まっているので、普通に今最強の人間だ。

店は神仙というところで、豚骨系のスープだが濃厚がいきすぎてドロッドロになっている。なのに臭くない。普段からラーメンを食べ歩いているわけではないが、いままで食べたことがない特徴的なスープで、都内でも全然通用しそうな旨さだった。お腹の空き具合からしたら一杯でも満足だったのだが、食べ終わりたくなくて替え玉を頼んでしまった。モラトリアムを延長し続けた僕らしい往生際の悪さである。

 

 

宗玄

宿に着いた後、近くの日本酒バー「狗鷲」で一杯ひっかけた。実を言うと前日にも来ていて二日連続なのだが、昨日飲んだ宗玄が美味すぎて感動していた。ラーメンと違って日本酒は良いのをそこそこ飲んできた。舌が肥えているとは言わずとも経験値は人並み以上だとは思っているのだが、今まで飲んだ中で一番美味しかった。大学の先輩が繰り返し宗玄について何か言っているのを見ていたのだが、なるほどこれは唸る。美味すぎて書いたメモをここに公開しておく。

宗玄 純米 雄町 無濾過生原酒 R4BY(珠洲

異常に美味い。なんだこれ。

フルーティーというのとは違う華やかさがある。甘みがまったくくどくない。それどころか軽やかで、泣きそうになるほど美味い。香りとも違う、たぶん全部味わいの範囲内で、摩擦がなく(まろやかというのだろうか?)色彩豊か。美味すぎる……

悲しいことに宗玄は最も被害の大きかった地域の一つ珠洲市の地酒で、震災直後は心が折れてもう酒造をやめることを決めかけていたという。が、復活を願う声が多くあって再生を決意されたとのことで、心底応援している。なにかフォローできる機会があれば力を貸したい。多くのファンに復帰を願われるのもよくわかる。それくらい至高の一品。

北陸旅行3日目 金沢市街縦横無尽

朝、コインランドリーを使いながら待ち時間でドトールへ。朝食もそこで済まして旅行記をちょいとまとめる。

乾燥までしっかりできていたので、たたむだけたたんで観光へ。動きはじめたのが十時手前。なめている。もとい、ゆとりある旅行だ。近江市場が近くにあるので、そちらをぶらり散歩してお土産案などを考えていた。朝遅いので市場の活気ある時間は終わっていた。

事前に興味あるところをリストアップしておいたので、近いところからまわっていくことにした。近いのは金沢文芸館

 

 

金沢文芸館

五木寛之にフィーチャーしている展示や解説だったので何事かと思えば、ここの建物の取り壊しを制して文芸館として再利用したのが五木寛之その人なのだという。本人は金沢出身ではないが金沢で暮らしていた時期もあり、金沢出身の泉鏡花に入れ込み泉鏡花文学賞を立ち上げた主導者でもある。

建物がやけに立派なのはそういう理由で、元は銀行だったらしい。当時は似たような建物が多くあったが、戦争を経ているため今も残っている類似の建物は他に無いというのがガイドさんの述べるところ。先日の地震の影響もなかったという話で、丈夫なのはお墨付きで、残そうという働きかけがなければ今も残っていないともなると、老朽化という自然の摂理よりも人間の側にこうした建物が残るかどうかが委ねられているとわかる。

全体的にこじんまりとした展示で、堅苦しそうな見た目に反して気軽に楽しめる。3階の展示は泉鏡花文学賞の受賞者・受賞作品一覧があるくらいだ。あまり注目していなかったが、名前は知っているくらいの賞で、読んだことがある作品がいくつか展示されていた。ここの本を読んでもいいですよとしきりにおっしゃっていたので、ある種の人たちの図書館みたいな役割もあるらしい。

どうでもいいことだが、そこでもらったプリントに、金沢に来ることを指すのだろう「来沢」という用語があって少し面白かった。意味はわかるが読み方がわからない。らいたく?らいさわ?

 

 

金沢蓄音器館

文芸館の方で様々な文化施設で共通して使える1日入場券を購入したのだが、今日休館のものが多々あった。逆に使えるところ全部行ったらもとをとる意味でも時間的にもちょうどよさそうだったので、目と鼻の先にあるこちらの施設に赴いた。蓄音器もイヤフォンも音質の違いとかが全然わからない素人なので、こういう事情がなければ来ることもなかっただろう。意外にもけっこう楽しめた。

行くとちょうど蓄音器聴き比べ会をしているところで、これがなかなか興味深い。蓄音器といえばレコードを回すところの近くに生えているラッパから音が出るものだが、このラッパ部分をレコードが回っている下の重厚な台座部分に収納することで、観音開きのドアを開けたところの網目から音が鳴る仕組みのものがわりとあった。逆にラッパ部分が人間を捕食できそうなほどデカイのもあって、これはソニー創業に関わった誰だかの家にあったものを寄贈してもらったのだそうだ。肝心の音はやはり笑ってしまうくらいデカい。ノイズが少ないのが特徴と説明を受けたが、ノイズが気にならないくらいの爆音ということではないのかしらとも思わなくもない。が、広い部屋の角にでもおけば立体音響チックになるのかもと思ったりもして、いずれにせよ高級蓄音器の気配がした。

高級なもので言えば、当時の値段でちょっと良い一軒家が買えるくらいと紹介されていたものもあった。笑うしかない。今時は高級ヘッドホン・イヤホンなんかで音質を追求する人も少なくないが、時代を問わず音楽を聴くこと自体にコストと熱意をかける人がいるということだろう。自分なんかは曲に対価を払うというのが自然な発想だっただけに、音楽を聴ける設備自体に生じる対価というのはちょっとした再発見だった。そう考えるとspotifyは曲に払っているのか、聴く環境に払っているのか、人によって捉え方は変わりそうだなと思う。

今でいう音質へのこだわりと言うなら、蓄音器のラッパの素材による違いがそれに対応する分かりやすい要素のようだ。鉄製・紙製・木製の三種類でそれぞれ曲を流せるコーナーがあって、露骨に別の音だったのが面白かった。蓄音器聴き比べの会でも「木製のこれは管楽器の音がきれいに聴こえて……」と言っていたのが本当にその通りで、なるほどであった。解説の方が話し上手で、ビクターのロゴの犬は製作者の飼い犬(ニッパー)で、弟がその様子を絵に描いて有名になったみたいな豆知識も挟んでくれるので、興味ないのに入ってきた無法者でも最後まで楽しめた。

 

 

ひがし茶屋町

行きがかり的に近そうだったので、ひがし茶屋町に行くことにした。

古風な街並みが残る地域で、文字通りの茶屋が多く主食系のものが少ないのが昼食どきの空腹を困らせた。結局街並みを二階から眺めながら、ぜんざいと加賀棒茶のセットで腹を満たした。着物で写真を撮っているカップルがいて、なんかよかった。

土産物の店もたくさんあって、特に陶磁器や漆塗りのものを扱う店が多かったのが個人的に楽しいところだった。何を隠そう陶器が好きすぎて益子まで行った人間だ。店を物色していて初めて知ったのだが、輪島塗の陰に隠れて山中塗というのが石川にはあるらしい。輪島塗は漆を何重にも塗って頑丈にしているのが強みだが、真っ黒で木目がわからなくなり価格もかなり高くなるのがネックなところ。これに対して山中塗は漆ではなくウレタンなどを使っているため、木目がはっきり残った状態で完成としている。耐久性としては輪島塗に劣るが、見た目を楽しめることと価格をかなり抑えられる点に強みがある(後日理解が新たになるのだが山中塗は別にウレタンだけを使うのではない。伝統工芸なのだから当たり前だが漆を使うものもある。しかし輪島ほどがっつり塗らないため木目を楽しむ余地がある)

塗りの違いはこういうところにあるのだが、山中の凄みとして木を削り出す技術があげられるのだそうだ。木の塊をろくろのようなもので回して鑿を当てて削り出す技術が卓越したものであるという。実物を持ってみて感じる両手へのフィット感も絶妙なものであった。なお、山中塗に関しては後日談がある。

 

 

徳田秋聲記念館

寡聞にして知らなかった作家。泉鏡花室生犀星とならんで金沢出身の三大作家として挙げられる。尾崎紅葉に師事したり漱石に高く評価されたりという人で、3人ともそういう時代の人だ。ちなみに全員分の記念館があり、泉鏡花記念館を楽しみにしていたのだが、地震の影響で休館になっていた。外壁も一部崩壊していて被害は大きそうだった。頑張れ……。

徳田秋聲は生涯ずっと金沢にいたわけではなく、当時の文筆者が多く集まっていた文京区本郷に居を構えていて、今も自宅は残っているらしい。めちゃめちゃ大学の近所だった。嘘でしょ? さすがに真横を通ったことはない、とも言い切れないくらいの場所で、その辺から来た僕と金沢からその辺に行った文豪とが交わるのは数奇なもので、名前も知らなかった反省も兼ねてお土産コーナーで一冊買って帰ることとした。記念館で出版している文庫があったので、せっかくならそのシリーズで「爛」を買ってきた。旅の道中で読むための本は持ってきたのだが、まぁよし。

 

 

にし茶屋街

ひがしと比べるとあまり行く人がいないらしい。ひがしも小さいエリアだったが、にしは一層小さい。忍者用具専門店なんてものがあり、奥で手裏剣を投げられると聞いたので飛びついて投げてきた。的の真ん中に当たると景品があったらしいが、5回中2回的に当たったまでだった。残念。だが、刺さりはしてくれて刺さったときのボスという音はちょっと気持ちいい。肘から先の動きで投げると成績が良さそうだが、それ以上に手首から先のスナップを使って回転させることを意識すると刺さる感じがする。もうちょっとやりたかったかも。あとNARUTOで知ったクナイは苦無と表記されていて、思った以上に暗器だった。

店の人たちが雑談しているのが聞こえたのだが、蓮ノ空のファンがこの前の土日で金沢に観光に来てくれたという噂に「ありがたいよね」とこぼしていた。個人の意見でしかないけれども、現地の人の口からそういうことが聞けるのはやっぱ違う。

 

 

室生犀星記念館

ここまでけっこう遠かったのだが、徒歩で来た。途中に兼六園やら21世紀美術館やらがあったのを全部素通りした。

室生犀星はちょっとだけ読んだことがある気がするのだが、正直言って覚えてない。たぶん刺さらなかったんだろうなと思いながら、展示を見ててやっぱりピンとこなかった。誰かに解説とかしてもらってたら気まずくなってた気がする。そういう意味でのんびり一人で見れたのはよかった。

生まれたのがちょうど記念館のある住所のエリアで、生後すぐ寺に預けられ私生児として育ったらしいのだが、その寺が帰り際普通にあってびっくりした。そういえば寺ってかなり古くからのものでも残っている。金沢文芸記念館の話ではないが、神社仏閣は建物の中では残りやすい方なのだろう。なんとなく壊すの怖いし。

 

 

もりもり寿し

匿名ラジオで金沢旅行の話をしていたので、必然と予習になっていたのだが、回転寿司は絶対に食べたくて目をつけていた。本店らしき場所は改装のため長期休業中らしく、遠路はるばる駅前までさらに歩いた。

超うまかった、かというと期待値が上回ってしまった感が否めない。回転寿司の金額ではなく普通にいい値段したし、なんなら回転レールは動いてもなかったので、予想はことごとく外れたのだが、ノドグロがめっちゃ美味かったのはかなり嬉しい。他のネタとセットになっている握りが手の出せる価格だったので注文したのだが、とろけるというレベルではないほどとろけた。20分くらい食べずに放置しておいたら溶けてシャリしか残ってなかったんじゃないかというくらい溶ける。すごいね、あれ。初めて食べたけど、めったに食べていいものではない。高級魚の名にふさわしい。

ついでに匿名ラジオで出てきたものは他に corpus minor #1、結ばれた足、OMO5があって、歩いてたら全部遭遇できた。徒歩移動の妙である。