広島〜大阪旅行 続き

前回は3日目の朝、相方が寝てる横で日記を書いていました。その後の観光および大阪へ移動しての単独行動を終えてあとは帰るだけとなったタイミングでバスを待ちながら書き始めています。いました。とっくに帰ってきて色々してから改めて書いています。

 

まずは前回書き漏らしたことから。高校の同期にあわよくば会うことが今回の旅行の目的のひとつだと言ってたのですが、その結果をお伝えしそびれていました。結局、働いている途中のところに突撃できました(突撃してもギリ許される職業)。やっぱり忙しい時期とのことで終わってから飲むみたいなことはできなかったのですが、かなり久しぶりに会えたので満足です。まさか広島でこの三人集まることがあろうとは……と感慨深いです。一瞬だけでしたが、とても楽しかったです。

 

さて、広島前日までの時点で行きたいところは行けたので、あとは流しで旅行です。相方が広島空港から帰るとのことで、アクセスを考えて呉で観光してから解散することにしました。僕はまた深夜バスなので広島駅に戻るかたちになります。

実は呉を舞台にした『この世界の片隅に』が5回は通しで観ているくらい大好きで、呉ってだけで個人的には行く価値ありでした。呉の観光名所と言ったら「大和ミュージアム」と「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」の2つです。どちらも海の軍事戦力に関わります(海自については軍事戦力って言わないのでしょうが……)。両方行ってきたので、そこでの学びを踏まえつつ感想を書いていきます。

呉は軍港として発展してきた都市です。時は黒船来航に遡り、海の軍事拠点としていくつか開かれたのが今の呉となるきっかけとのことです。当時の軍港の中でも、山に囲まれてて瀬戸内海のど真ん中なので陸からも外海からも攻めにくい点で優れていたようで、太平洋戦争に至るまで造船や軍事拠点として重要な都市であったと言います。だからこそ空襲で狙われやすく、呉の空襲は他に比べて高頻度であったとありました。戦後に海軍は解体され、元海兵たちはしばらくのあいだ軍備の解体作業などを仕事としたものの、次第に失業が深刻な問題となっていき、それが呉の最大の課題であったと言います。じわじわと貧困に苦しめられる状況を逆転させるために「平和産業港湾都市」への転換という発想が打ち出されました。要するに、軍事施設としては使わないが軍港だった港を解体するのではなく有効活用しようという方向転換です。軍港として活気付いてきた都市であり、戦後も港の活用により復興を遂げ、海上自衛隊の基地もあることから、軍艦とは切っても切り離せないのが現在の呉の姿であるようです。

前日に平和記念館にいたからか、呉と広島市内とでは温度差を感じました。広島では徹頭徹尾「傷跡」として戦争が記憶されていたのに対し、呉は戦争のことを乗り越えてきた困難な時代というような受け入れ方をしている印象でした。呉というよりは大和ミュージアムの展示や映像にそういう印象を受けたと言った方が適切でしょうか。たとえば、沈没した軍艦からの生還者のインタビュー映像では自分の分の浮き輪を投げて救ってくれた将校のおかげで生き残ったと将校の人柄を讃え感謝する語りがあったり、展示内容も呉という街の戦争経験というよりは軍艦に焦点を当てたもので(大和のミュージアムなのだから当然なのですが……)、電車で30分程度の距離なのに随分と違うのだなと感じました。

この世界の片隅に』はまさに太平洋戦争期の広島・呉を舞台にしたものですが、初めて見た当時は戦争ものなのに日常風景を主に描いており、それが当時の人々にとっての肌感覚を正直に現しているのかもしれないと考えたものですが、いざ当地に行ってみると広島市との雰囲気の違いがその感覚を多少裏付けてくれるような気がしました。

温度差と言ったので、呉ももっと神妙な面持ちで戦争経験を語るべきだと主張していると思われそうな気がしなくもないですが、事情はもうちょっと複雑で白黒つけられるようなものでもないと思っています。辛気臭い顔つきでいれば戦争を反省したことになるわけでもありませんし、軍艦にも興味深いところがたくさんありますし、ただ原爆の中心地から少し離れたところにそれがあることに何も思わないのもおかしいですし、しかし距離が離れたら関係なくなってよくなるわけでもないし…… と、宙ぶらりんのままでいること以上に誠実な態度は、今のところ取れそうにありません。

 

以上が呉での感想です。呉で解散した後は、広島駅まで戻り街をぶらぶらして星乃珈琲店で時間を潰し深夜バスに乗って大阪に移動しました。

 

 

大阪の目当ては二箇所です。一つはシャニマスの寮のモデルとされる新木川温泉、もう一つは咲くやこの花館です。

新木川温泉はその日が定休日だと聞いており、どうせ入れないからと早朝に行ったのですが、残念なことに先月末に廃業されていました。しかし、建物が残っているうちに見れたのはよかったです。寮はもっと大きい建物のイメージだったので、寮っぽさを感じなかったのが正直なところでしたが、今考えるとあのサイズ感の場所にアイドルたちが住んでると思ってみることもできるわけで、「そうすると事だぞ……」と周回遅れで想像力の暴走を楽しんでいます。

 

そういえば大阪についたのは6時前で空いてる店もなくかろうじて電車は動いている時間帯でした。噂に聞く梅田ラビリンスを攻略しながら、他に行くあてもなかったので新木川温泉に直行したのですが、コインロッカーに荷物を預け忘れたので大阪に引き返しました。帰りのバス乗り場に近そうなところを選んでコインロッカーに入れて、念の為その周辺の写真を撮っておいたのですが、これは後々助かりました。帰り際一回か二回迷った以外はおおむね最短経路でたどり着いたつもりですが、それでも20分くらいかかったので、写真がなければかなり心細かったかと思います。「梅田はやばい」と聞かされてなければ危うく巨大迷路で宝探しゲームをしていたところでした。

 

さて、もう一つの目的地が咲くやこの花館です。ホームページの言い回しをそのまま使うと「国内最大級の大温室」で、珍しい植物がたくさんいます。

植物好きならば一度は訪ねてみたいスポットです。10〜17時の開園で、10時に入園し16時まで堪能いたしました。閉園まで居座ってやろうかとも思ったのですが、旅行の疲れが溜まってきたのもあり、一通りじっくり見終えましたので最後までは粘りませんでした。植物園全体は思ったほど大きくはなく、さらっとみるなら小一時間でも満足できそうな規模感ですので、6時間もいれば十分でしょう。

で、何が楽しかったかというと、植物がいっぱいいて花が咲いてるのもたくさんいてそれが良かったのはそうなんですが、個人的には情報量の海に溺れてる楽しさが大きかったです。生き物好きとしての魂が蘇ったのは実はここ数年で、植物も図鑑とか専門書とかを通して知識を身につけてきたような人間なので、植物への傾倒が少し頭でっかちなんですね。だから、知らない植物が名前とセットで展示されてると、いつもの調子の勉強がはかどりますし、写真とは違って好きな角度から眺めたり匂いを嗅いだりできる実物は情報量の多さが際立ちます。植物好きとしてどうなん、と思わなくもない態度ですが、まぁ誰に文句言われることでもないので大丈夫です。たぶん。

しかし、穏当にきれいに咲いてる花たちも楽しんだりもしていて、睡蓮シリーズはめちゃめちゃ綺麗でしたし、デンドロビウム属の子たちをはじめ見頃を迎えた蘭の仲間はどれも美しかったです。それから乾燥地スペース一帯でサボテンが咲いてるのは見事と言うほかなく、隣にいたおばさまが感動のあまり話しかけてきたのにウンウン頷きながら返事していました。

あとあれです。ウェルウィッチア! 和名は奇想天外と言ってその名の通り、かなり異質です。ざっくり言えば二枚の葉っぱだけで1000年以上生きるとされる乾燥地の植物で、特徴的すぎる生態ゆえに界隈では有名なこいつの実物を見れたのが良かったです。

 

個人的に一番感動したのは黒百合が咲いていたことで、姿が可愛らしいのもそうなんですが、やっぱり図鑑でしか見たことのないものが本当にいるっていう感動は別格でした。思えばその辺に生えてる植物を見て名前を探すことばかりしていましたので、図鑑が先で実物が後っていう経験がここまで明確なのは初めてかもしれません。

まぁ、黒百合めっちゃ臭いんですけどね。ハエが花粉媒介者らしいので相応の臭さなんですが、それでも小さい命がちゃんと命してる〜って感動も相まって、とっても良かったです。

 

そんなこんなで満喫した後は、近辺の温泉に立ち寄ってゆったりし、最終日かつ目的地をめぐりきったということもあり「終わり」ました。大阪っぽいご飯を食べることを考える余地もなく、本当に適当にご飯を済ませてバスに乗り帰っていきました。

なお、日付を越えて帰ったその日にシャニ5thライブのday1が待ち受けていることになります。その後もシルク・ドゥ・ソレイユの公演を見たり(これは昨日の話)と充実した日々を過ごし、現時点でもまだFFX歌舞伎を観劇する楽しみが残っております。社会人化するまでの最後の輝きです。水平線に太陽が沈む瞬間に光るみたいな時間を過ごしております。