北陸旅行 8日目(越前大野・東尋坊)

越前大野散策

長い旅行も最終日となる。深夜バスで帰るため家に帰るまでが遠足理論でいけばもう1日あるが、北陸に滞在するのはラスト。あいかわらず宿の部屋が静寂すぎるので起き抜けにはわからなかったが予報の通りに雨が降っている。事前に宿の兄さんから近所の美味しいパン屋などを教えてもらっていたので、朝早めの時間に散歩に出た。昨日の夜には暗くて見えなかった街並みがよく見え、それ以上に山がとてもはっきり見える。恐竜博物館への道すがらでも山は眺めていたが、落ち着いて見渡せばしっかりどの方向にも高い山々がそびえ立っている。これが盆地か。

盆地だと逆転層を形成すると聞いたことがある。夜間に雲がない状態だと放射冷却によって地表面から空気が冷えるのだが、空気の移動しにくい盆地では冷気が留まり上空の方が気温が高くなり通常とは逆の状態になるという。これが逆転層で、下の方で水蒸気の凝結がさかんに起こるため、霧なり雲なりが盆地内で主に生じることになるとかならないとか。そんなことを思い出したのは雲の位置がえらく低いからで、それほど高くない山の中腹ほどに雲海ができていて山頂付近には雲がかかっていない。雨がいつ頃から降っていたのか不明だが、夜間は晴れていて逆転層ができていたのかもしれない。

パン屋は7:00から開いていて、着いたのは7:30くらいだったが地元の人もちらほら買いに来ていた。朝が早い。クロワッサン大好き人間なのでいの一番にクロワッサンを手に取ったが、クロワッサン生地を使った変わり種パンもけっこうあって、選んでからそっちに気づいた。手に取った後に悩ましい競合相手を見つけ、戻すのはしのびないから選択の余地なく最初のものを買う、ということを全部のパンでやった。なぜ。味はそれなり。宿で出してもらったパニーニがかなり美味かったので、今日もモーニングつけてもらってもよかったかもしれないと一瞬思ったが、街中を散策する余裕があるのはありがたい。

近所の和菓子屋さんで芋きんつばが評判の店があった。観光に訪れる人がままいる場所ながら、あまりに美味しいので地元の人が朝早く並ぶような店で、昼前には売り切れることもあるという。賞味期限が短いし冷蔵保存なので土産にはむいていないが、幸い冬だし最終日なので買って帰れるタイミングだった。これはついている。ひとつだけここで食べる用に出してもらったので、焼きたてほかほかのをいただいたが、実際かなり美味しい。大変にグーである。

 

この近所は地下水で生活しており、その水も名水ということで知られている。それが現在進行形で湧いているところがあり、石垣に囲われた長方形の窪みの中に木の櫓が組まれているといった場所がある。厳かな感じだ。実は昨晩もここに立ち寄っていて、真っ暗なりに雰囲気を見ていた。どうやら水を汲んでいい場所がある。柄杓で容器に入れる形式らしいが折悪しく容器などは持ち合わせていないため、手をおわん状にして一口いただいた。なるほど美味しい気もする。宿の人いわく、山際のエリアに住んでいる人は山から出てくる地下水が鉄を多めに含んでいるだかで質が悪く、その辺では水道水を引いているとのことだ。なんだか惜しい。山の上の城を眺めながら宿への帰路についた。

 

 

宿

チェックアウトまで小一時間ほど温まらせてもらった。少し外に出ただけでも手足、特に足先が冷える。寒さ対策で衣類やネックウォーマーを買い足しておいたのだが、足の冷えは対策していなかった。言われてみればそこだけいつもと防寒レベルは変わっていないのだ。今日の道中でいただきものの靴下用カイロを装備することになることを決めた。その手があったのを失念していた。

宿ではこたつに入って温まっていたのだが、それと一緒にコーヒーを淹れてもらっていた。実はこれ恐竜博物館のミュージアムショップで買っていたお土産で、恐竜博物館まで送ってもらったお礼がてら是非おすそ分けさせてくださいと押し付けていたものだ。その名も「恐竜のカヲリがするコーヒー」。どうせ一発屋のネタだろうということもあって、5パック入りのうちの2パックを我々でいま飲んで、残りを家族用の土産に回させてもらう計算だった。お礼にしては打算的で心がこもっていない感じもしたが、近場の観光施設のお土産なんかかえって縁がないだろうという考えもあった。礼には及ばぬと、ささやかなコーヒーすらも遠慮されそうだったのだが、それは押し切って朝のコーヒータイムと相成った。宿の設備を使うので仕方ないが結局宿の兄さんに淹れてもらうかたちとなり、お礼になってるのかどうかわからなくなってしまったが、兄さんの方はと言えば終始にこやかであった。人の良さを感じる。

肝心のお味の方は、最初からわかっていたとおりよくわからなかった。草食竜を思わせる草の香りと角に付着した鉄錆の香りをイメージしたらしい。薄めでまろやかな口当たりで美味しいには美味しいが、恐竜云々については「わかんないすね」と二人で談笑していた。このコーヒーは一人で眉間にしわ寄せながら味わうよりは誰かとこうして飲む方がいいものなのだろう。宿のこたつの効果も相まって穏やかな時間を過ごせた。

チェックアウトは10時なのだが、外はやはり小降りで電車がくるのが11:30ということで、もう1時間いていいすよと言ってもらえた。のみならず駅まで送ってくれるという。至れり尽くせりだ。こうもされるとなんとかしてもう一回泊まりに来たい気持ちになる。家屋も立派なので、それだけでも泊まる甲斐がある。次くることがあるならもう少し雪対策をしておいた方がいいだろう。すごい年だと3階建ての市役所の隣の駐車場に雪を捨てていったら市役所相当の雪の塊ができたこともあるらしい。なんやかんや話しながら駅まで送ってもらい、極めて快適に越前大野を後にした。

 

 

福井駅前後

駅からも電車からもやはり全周で美しく山が見える。雲の位置が低いのが幽玄とも言いたくなる趣を成しており、さながら水墨画の世界であった。分厚い雲から小高い丘が顔を覗かせるようにして山に雲がまとわりついている。盆地だと空気の動きが少ないのだろうか。あまり雲が動く様子が見られず、雲自体に硬さを感じる見た目ですらある。ちょっと面白い。

電車の中であちこち景色を眺めるものだから近くの人に一瞬怪訝な顔をされたがすぐに許してもらえたっぽい。よそものらしき人が他にもいたので日常茶飯事なのだろうか。やがてトンネルを突っ切って盆地を抜け、福井駅に到着した。そういえば行きの新幹線で富山に着いた時もトンネルを抜けた。そのときは「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」を実体験できた、とはしゃいでいた。『雪国』は北陸を舞台としているので、実際この辺のことなんだろうなと思っていたが、全般的に山がちな地形で山を越えると景色が変わって、それ以上に心理的な変化が生じたりするのが印象的だ。川端はやはり人間を上手く描いている、ような気がしてくる。

福井駅での乗り換えはそこまで余裕はなくて、コインロッカーに荷物を入れてえちぜん鉄道の1日フリー切符を買ってホームに上がるとちょうど電車が来た。片道770円の予定で電車乗り放題切符が1000円なのでかなり安上がりだ。お金を落とすことを心がけてきたもののさすがに豪遊続きでちょっと不安になってきた頃合いだから少しでもケチれると安心する。えちぜん鉄道福井駅はかなり新しく綺麗で、全体を木造テイストに仕上げて見える範囲には木らしきものが張られている。できたての温泉みたいな内装だった。電車にはアテンダントと称する乗務員がいて、短い車両を行き来して(途中に無人駅がある関係で)車内で切符を売ったり、お土産を売ったりしていた。帰りの電車にもアテンダントがいたのだが、ずいぶん若くて綺麗なお姉さんがその役回りをしていて(前時代的~~)と心で唸っていた。その延長に風俗がありそうなサービスのことをおもてなしとは呼んではいけない気がする。かくいう自分も彼女らのことを「若くて綺麗なお姉さん」だと思ったりしてて、若くて綺麗だなって思うのいつか辞められるのかなとそわそわしてた。

 

 

東尋坊

さて次の目的地は東尋坊だ。福井と言えばで上がってくる観光地の一つで自然景観に見とれることの多い身としては無理してでも行きたいところだった。決して小さくはない福井県の山側と海側なので、やや強引な移動になったが他に行ける範囲でめぼしいところもないのでちょうどよかった。金沢からの移動日に立ち寄るプランもあったのだが、どうしてもアクセスが悪くて滞在時間がかなりシビアになるため断念していた。

終点の三国港駅で降り、少しだけ待ってバスに乗った。徒歩でも行ける距離だったが雨が降っていたし、よりによって折りたたみ傘をコインロッカーに入れてしまっていた。バスの観光客は僕一人だったが、東尋坊に着くとそこそこ人がいた。お土産やご飯どころの店が並ぶ通りを突っ切ると海が見え、展望テラスみたいになっているところから東尋坊の柱状節理が見え、そこから降りて行けた。

意外にも崖のキワまで歩いていけて、柵などは一切なかった。たしかに写真とかで柵は見たことがなかったけれど、これはしっかり落ちれる。手をついて海の方に顔だけ突き出して崖下を覗き込めるのだが、思ってたより怖かった。単純に高くて怖いというのもあるのだが、下で待ち構えている岩や荒波がものものしい。自殺スポットという偏見だけ持っていたのだけれど、ここで死んでも無しかないと感じた。死んだ先でどこにもいけない場所、というか。他の自殺名所として有名な華厳の滝では、(不謹慎だが)ここで死んでしまいたくなるのもわかると思ったものだが、場所によって出てくる感想はまちまちのようだ。そういえば寺山修司華厳の滝で自殺した人を随分と持ち上げていた。彼なら東尋坊についてどう言うだろうか。華厳の滝で死ぬのは積極的で美しいが、外因によって追い込まれて死ぬのは自殺の風上にもおけないくらいのことは言いそうで、なんとなくこっちに東尋坊が入りそうだ。僕があまり彼のこと好きじゃないからそう思うのかもしれないけれど。

調べてみると、東尋坊は今も自殺者は多い場所のようだ。しかし、いかにもな見た目に反して海抜それほど高くないので死ににくい場所であるらしい。店の並んだ道にテレビによく出る「ちょっと待ておじさん」がいる店とのぼりが立っていて、なんだこれはとスルーしていたのだが、そのおじさんは自殺志願者に声をかけて死のうと思った理由を聞いたり、場合によっては同じ境遇にある人と共闘できるようなNPOなどの居場所を紹介したりという活動をしているらしい。思想をこねくりまわしている僕(や寺山修司)のような人間は大した実益を生まないが、こういう人はきっちり一人一人に向き合っていて頭が上がらない。お店で買い物してくればよかった。

 

ところで東尋坊に来た目的は自殺云々とは関係がなく、シンプルに巨大な柱状節理を見たかったからだった。恐竜博物館で地学方面の知的好奇心を触発されていたため、一層興味深い。柱状節理というのは柱状の岩石が集まっているもののことを言い、マグマが冷えて固まってできたものだ。理科の実験とかで塩の結晶を作ったときにゆっくり時間をかけないと綺麗な結晶ができないという話があったと思うのだが、それと同じでマグマがゆっくり冷えないとこのような柱状節理は出来上がらない。マグマが噴出して外気に一気にさらされれば火山岩に分類される岩ができるが、その形はいびつなものとなる。東尋坊のこれはマグマが地中に噴出して、そのまま時間をかけて冷えていったもので、地上を覆っていた大地が海の浸食作用で削り取られていったことで柱状節理が露呈したのがその成り立ちである。地中で冷えていく過程でも外側は冷えやすく内側はより時間をかけて冷えていったということになるため、東尋坊の外側付近は柱が小さく、内側ほど大きい様子が観察される。その分布から今も地中に埋もれている領域の大きさも推定できるとか。見えているものから見えないところを推測するこの感じは恐竜の研究に通ずるものがある。高校の頃は地学全然面白くないと思っていたが、今ならめっちゃ面白い。

帰りのバスを待つ時間もあるし、なんなら福井駅で時間が余るので、昼をこのあたりで食べていくことにした。海鮮食べまくりツアーのつもりだったわりにカニを食べてなかったので、安物っぽいが通りにあった海鮮丼屋さんでカニいくら丼を食べておいた。ノルマみたいに食べるものでもないのだが、しっかり美味しかった。

 

 

芦原温泉福井駅

このまま福井駅に直行してもかなり時間が余る。これは見越していたことで、どこかの温泉に入ろうと目論んでいた。宿の兄さんからは三国港駅近くの施設で海を眺めながら入れるところを紹介してもらっていて、そこにしようかとも考えていたのだが、せっかくフリー切符があるのでえちぜん鉄道の途中にあった芦原温泉に行くことにした。付近にいくつか日帰りできそうな場所があったが、特に心惹かれる場所もなかったので行きやすそうなところにしておいた。可もなく不可もなくといったところではあったが、一度暖まっておけたのは大きい。適当に時間を見て、帰りの電車の時間に合わせて出た。

 

福井駅に着いたらあとは深夜バスを待つばかりで、どこか回ろうにも暗いし傘もない。傘を出すとしたらスーツケースと一緒に回ることになってだるいので、ずっとプロントにいた。ごはんにしては微妙な時間だったのでドリンクのみだったのだが、店を出る直前になってお腹がすいてきてしまった。注文して食べるには時間が微妙だったので、駅にあった新しい待合スペースのことを思い出し、そこで持参していたカロリーメイトを食べた。被災地付近だからと思って念の為非常食はいくつか用意しておいたのだが、被災の痕跡が散見されたのは氷見と金沢の一部くらいで事前情報どおりおおむね通常運転であった。非常食の出番がなかったことに感謝しつつ、豪勢な一週間のつけとしての今後のひもじい生活の一歩として質素な夕食を済ませ、バスを待った。

予定通りに着いたバスに乗ってしまえば特にもう言うことはなく、あまり眠れなかったが普通に東京駅について普通に家に帰った。あれだけ長く外にいたわりに自然に家にいるので、自宅も仮住まいだとでも思っているのかもしれない。いつも旅行は名残惜しさにうちひしがれながら終わるのだが、福井のスローライフにひたっていたからか、十分長く旅行したからか、今後もしばらく無職の余裕があるからか、特に寂しさも感じずに帰宅した。