月記 2022.01

毎年のことですが、1月の終わりは妙な焦りをもたらします。

もう1年の最初の区切りが終わることを突きつけられることに、こんなにも動揺するのはどうしてなんでしょうね。

僕の場合、まだ1月だからと言い訳が許されているような気持ちを逆手にとって、まだ1月なのにいろいろできていると、ぬか喜びしたがるからかもしれません。だから自分が何も成し遂げていないような気持ちになってしまうのですが、一応それなりにやってきたはずなので、書ける範囲のことを書いておこうと思います。1月にやったことの記録なので、日記ならぬ月記です。

 

1月2日 リアルプレゼンバトン

これはデカかったです。イベントとしても楽しみとしても。そのあとnoteでいろいろ書いたのがたくさん反応もらえまして、とても嬉しかったです。

(12月から始動していたので1月の手柄にするのが、どうにも申し訳ない気持ちになるのですが、この卑屈さはなんとかしたいです)

 

その後、お手伝い班のふたりのシーンと合わせてファンアートができたと聞かされたときは、喜びもさることながら驚きを隠せませんでした。いい絵ありがとうございます。

ちなみにこの絵を描いてもらえたのは女子高生に受肉したことの恩恵でもあって、それはこの前ブログに書いた通りです。これも1月の出来事でした。

 

 

授業の終わりとレポートの終わり

1月に入った途端にだいたいの授業が最終回を迎えました。が、ひとつだけもう一回と授業することになって、発表担当に当てられてしまったので少々ビビりました。つつがなく終えましたが、1週間くらいそちらに気を持って行かれたので1月を振り返るなかではウェイトの重い事件だったような気もします。

課題については、授業もほとんど履修してないし発表などで単位取得条件は整っていたのもあるので、レポート課題が一つあるだけでした。正直あんまり興味がない授業だったので、軽めにこなしました。2日くらい下調べして半日で書いて数日後に修正を入れて提出という感じです。下調べもたいしてって感じなので、だいぶ流したんですが、まぁ時間と脳の可処分エネルギーはとられたので、やはり重かったです。

 

本1000冊読むぞ計画

毎年、目標を立てそびれたり結局意識しなくなる目標を立てたりしています。去年はTOEIC受けるということを決めて、ちらほら思い出したうえでやりませんでした。いつかやるだろうと決めたことは平気で1年くらい放っておけてしまうことを思い知りました。

今年は「読破」のハードルをぐーーーーっんと下げて1000冊読むことを目標にしました。ぐーーーーっんと下げても1000冊は超多いです。今月は43冊だったみたいでこの調子だと全然間に合わなくて笑ってます。

 

ただ、けっこういいなと思ってるので目標として持ち続ける予定です。

自分が中途半端な完璧主義という矛盾した性格で、本を端から端まで読むことに嫌でもこだわってしまい内容が入らないのに止まりながら読み進めてめっちゃめちゃ時間がかかったわりに何もわからんかった〜という最悪なケースがよくあり困っていました。最近、どうでもいい本だから理解度30%以下でもいいからざーっと読もうということがあったのですが、なんならいつもの手応えより読めるぞと気づきました。ここにきてようやく念願の「流し読み」を習得し、また図書館にある膨大な「どうせ読めない本」を諦めなくてもよくなったかもしれないと思いました。

そこで、つまみ食い的に読む(目を通さないページがある)のも読破、ざーっと目を通して主張とキーワードだけ取り出すのも読破、昨日読んだ本の線引いたところとその周辺を読み直すのも読破、なんなら論文も1冊でカウントという風に、ハードルをぐーーーーっんと下げて自分のすべき読書を誘導することにしました。それで43冊読めたので上々かなと思います。成し遂げたことは成し遂げたことと認めてあげることにもなってなんだか良さげです。

ただ、やっぱちょっと少ないです。論文入れてるのに43はかなり少ないので、2月はそこを増やす方針でいきます。いつかやろうは1年経過することを思い知ったので。

あとは、毎日ちびっとずつ読んでる本のことを評価できなくなってしまうのは悲しいなと思うので、そこはなんとかしたいと思ってます。冊数にこだわって精読を捨てるのは最悪なので1000冊の目標を掲げつつも精読は残さねばなりません。考え中です。

 

ちなみに今月読んだ中で一番良かったのは『時間の比較社会学』(真木悠介)です。図書館で借りた後に思わず古本で単行本を買いました。岩波現代文庫で新版も出ていたようです。

実はいくつかのツイートはこれを読みながら考えさせられたことでした。「考えさせられた」というのは文字通りに「強制的にそちらに向けて頭を使わされた」という意味で、それくらいの強烈さでした。自分の関心と重なったからこそのインパクトだとは思いますが、読んだ中でダントツ一番すごい本でした。

 

 

switch liteとアルセウス買った

つい一昨日です。Twitterを眺めていたら発売したてのポケモンアルセウス)の感想やら何やらのツイートが流れてきました。前日にも流れていたものなので、別にという感じだったんですが、どうやら古代に行くらしいと知りました。

時間のことを最近延々と考えていたのもあり、ちょうどいろいろ重なって、1時間半くらい悩んだ挙句、ゲオに売ってたら買おうと決めゲオに行き、ゲオに売ってたので書いました。ポケモンはダイアモンド以来、ゲームハードを買ったのはPSP以来なのでかなり久々のゲームです。

ハードごと購入する出費にしては即決で、昔ならば考えられなかったなぁなどと思いつつも、これは力を持っただけで大人になったこととは思いたくないなぁなどと悶々としたのも束の間、めちゃめちゃ面白くてずっとやってました。

(最初の方しかネタバレしてないつもりの今の所の感想です↓)

設定はモンスターボールが開発されたばかりの頃で、ポケモンが現実的な脅威として人々の隣にいた時代というのが凄い踏み込みです。未来の世界ではポケモンが人間社会に馴染んでいることを我々は知っている分、飼いならしていたはずのものの本来の恐ろしさを思い出させるショックは大きく、低価格で大量の電気を安全に提供していた原子力発電の神話解体と重ねずにはいられません。脅威を思い出させるのは原発に限らない話で、昨今では電車内などの無差別殺人が頻発しており、生活に馴染んでいたはずの隣人が牙を剥くことは我々のリアルです。

古代の人たちがモンスターボールに支配されずにポケモンと共生していたことに何かのヒントを学べそうで期待する反面、モンスターボールというあまりに強力で便利な道具を目の当たりにした人々が、それによってのみポケモンと関係する方向に進みそうになるのを爪を噛みながら見守っています。古代の人々にとって気味の悪いのはモンスターボールの方であったはずなのに、いずれモンスターボールを使わないでポケモンと共存する方が気味の悪い存在とみなされる世界になるのでしょう。仕方ない時代の変化である一方で、そのことに抗える道はないものかというどうしようもない葛藤があります。

そういう風に思うと、主人公を迎え入れたモンスターボールの開発者集団が、未来では悪役として登場するギンガ団であるのは示唆的です。ですが彼らは現実的な脅威であるポケモンにもっとも有効で現実的な対処をしているわけで、彼らさえいなければと言うことは許されません。彼らの方にこそ止むに止まれぬ事情があります。しかし、最初は仕方なかったことが当たり前になったときに、もう元には戻れなくなっている大きな流れができてしまうことにまで仕方ないと言うこともできません。そういう人間社会の多大な欠陥を痛感しながら、ポケモンとの共生を探る旅をしています。