日記 摩美々のこと

夏目です。

Twitterアイドルマスターシャイニーカラーズ(通称シャニマス)の話ばかりしている者です。ここでもシャニマスを知ってる前提で話を進めます。

普段、長文はnoteやprivatterやふせったーなどに投げるのですが、シャニマスに限らず色々考えたことを雑多に投げておける場所を他に用意しておくのもいいかなと思い、日記的なものをはじめます。毎日はやりません。たぶん。

 

Twitterの方を見ていただいてる方はなんとなく察してると思いますが、いわゆる「推しの供給に悶える」タイプの人間ではないので、摩美々はシャニマスで一番最初に撃ち抜かれ今も大好きなアイドルではありますが、どう好きだとかいう話はそれほどしてきませんでした。

みんなが知ってるストーリーをなぞるだけになっても面白くないと言いますか、すでに知られていることを繰り返すだけでは、結局響く人にしか響かないという状態から進展がありませんので、自分を通して出せるものがあるときにしか呟く気になれないという難儀な性格です。そういうのもあって、あまり摩美々のことを語る機会も最近は少なくなっちゃったなーと気にしていたところに、降ってきたので書き留めておこうという気になりました。

 

とりあえず初回は下のツイートをした経緯の記録と、もうちょっとちゃんとした説明をしたいなと思ったので、書き留めてみることにします。

 

 

 

 

〈読まなくていい自分語りパート〉

「ずっと大学生のままでいてー」とふと思ったことがきっかけで、最終的に摩美々のことやっぱ好きだなってところに着地しました。その話です。

僕はけっこう長い間、大学生をしています。別に留年とかではなく、けっこう長いです。それでもさすがに終わりも見えてきたのもあって、ふと「ずっと大学生のままでいてー」と思ったのですが、しかし「レポートとか論文とかは書きたくないわ……」というのも正直な気持ちで、大学を出る未来にしろ残りつづける未来にしろベストな選択ではないなと思ったわけです。

それで「人生には正解がない……」と軽い絶望みたいなものに取り巻かれてしまったのですが、同じ文言がポジティブに語られることもあるよなと引っかかりました。正解がないからこそ何をやってもいいんだとか、だからこそ自由にやっていいみたいな発想です。勝手なイメージですが、いわゆる意識高い系として揶揄されるタイプの人たちが言いそうだなって思いました。そういう人たちの中には本当に口だけの人もいますが、たぶん本当に力強く立派に生きてる人たちもいて、安易に揶揄するものでもないと思っています。そのうえでなのですが、彼らの信念を共有しにくく思う人がいるのも事実としてあります。(肌に合わないことは仕方ないけど、それを理由に否定してはいけないという話です)

 

かくいう僕は別にまったく熱意のない人間とは言えず「紐になりて〜」と言う人には共感できないのが正直なところです。とはいえダウナー系にちょっとしたシンパシーを覚えるくらいではあって、何を言いたいかというと「人生には正解がない」という文言を前にして燃えるメンタリティは持ち合わせていないということです。

それではどういう意味で自分が「人生には正解がない」と思ったかと省みてみて「人生には不正解しかない」と言い換えを思いつきました。大学に残って論文を書く苦行をするのか、就職して同じような日々を過ごす苦行をするのか、どの辛さを選ぶかである、みたいな。

しかし全てが等しく不正解とは思えませんし、今の自分にそれなりに納得してるところはありますから、不正解は不正解なりにグラデーションがあるのだろうとなり、自分好みの不正解を選んでいけばいいかと思う一方、そういう考え方はちょっと弱気すぎる気もします。

そこでグラデーションという言葉に食いついて、彩度や明度によって調整される色の性質をその比喩とするならばまだ色相って要素が残っているんじゃない?と思いつきました。自分の色を決めるという手があったなとなったところで即座に、自分の髪の色を染めた摩美々のことを想いました。そういう経緯で摩美々に到達しました。

〈/読まなくていい自分語りパート〉

 

 

摩美々については【パープル・ミラージュ】やソロ曲「誰ソ彼アイデンティティー」の影響からか、赤と青を混ぜてできる紫によってアイデンティティを主張する側面に光が当たることが多いです。ダウナー系らしい青だけなく、内に秘めたる情熱をあらわす赤があわさって摩美々らしい色となる、という発想に気づかされたときは度肝を抜かれました。ただ担当Pとしてはちょっとそれを擦られ続けるのも味気ないなと思ってたのですが、いや別の見せ方を持ってくるのはそれこそ担当の仕事じゃない?と自分の中で葛藤を抱えていました。

そういう最近の悶々たる思いもあったので、グラデーションがどうなるにせよ自分の色を主張するという見方はけっこう良い線ついたんじゃないかと浮かれたのでした。

 

ここまででちょっと自分の思考をたどるかたちになったので、かえって分かりづらかったかもしれないです。摩美々に即して整理し直してみます。

摩美々は人生に対してぼんやりとした諦めみたいなものを抱いています。しかしそれも深刻というほどでもなく「生きてる意味がわからない というのは大げさ」くらいなもので、これからの人生に対する見込みの薄さみたいなものを感じているようです。

これが個人的にすごく共感するところです。将来についてのどういう選択をしたところでつらい思いをする余地は残っていて、どれが最高というのでもないみたいなやるせなさを強く感じるタイプの人だからでしょうか。これはすごく後ろ向きではあるけれど最もリアルな実感で、否定しようもないという意味での仕方なさがあります。これに対して、未来を楽しもうだとか、人生に正解はないんだから好きなように生きたらいいと言われても、肝心なところにフックがかからないので(つまりリアルな実感が無視されてしまっているので)僕のためではない誰かのための処方箋という感じがしてしまいます。

どうせ最高に満足するなんてことはないんだぜという諦念の次に控えているのは、どの程度で妥協するかというテンション低めな人生設計です。どうせどうなってもベストなんてありえないなら、さしあたって楽しそうな方に流れてればいーじゃんみたいな投げやりな生き方は僕としては自然な進行に思われ、摩美々がプロデューサーの誘いに「面白そうだから」って理由で乗ったのは、自分に重ねることで猛烈に分かってしまったところです。(自己投影してるだけなのですが……)

しかし、将来のことなんて計画どおりにもいかないし、自分が目指していたことが自分の期待していたような美しい日々をもたらしてくれるとは限らないし、僕(と僕を投影させて理解した摩美々)が抱くような諦念も大事なことだとは思うんですね。リアルな実感ゆえに捨てられるものでもないが、そもそもあんまり無下にはしたくない気持ちがあります。

この先に待つ日々が灰色になっちゃうか鮮やかな色合いになるかは、もう身を委ねるしかないと考えていて、その考え方を大事にしたい気持ちもあると言い換えられます。しかし、未来について完全に受動的であることはなくて、むしろ当然ながら自分がどうするかということもとても大事になります。その際、目標に向かって計画を立てて云々といったのとは別の仕方で自分を描いていきたいというところで思い出したのが、摩美々が髪を紫色に染めたことでした。今後どうなるかは知ったことではないが自分の好きな色で染めてやろうというのは、必ずしも輝きを保証してくれない未来に頼ることなく未来へと前向きに進めるようになる逆転劇のように思えてきます。

赤と青とを混ぜた色をアイデンティティとして……という以前に、摩美々にとって自分の色で染めるということそのものが、とても重要な意味を持っているかもしれないことを再認識し、こういう見方がどれくらい的を射ているかはさておくとしても、「その手があった」ことが僕にとって知らず知らず希望となっていたことを再認識しました。

 

まとめると「人生に正解なんてない」みたいな捨てがたい諦念にあえてこだわって、「人生には不正解しかないのだ」とひっくり返したうえで、「しかし不正解なりにグラデーションの違いはある」と納得できる程度のやや積極的な意味を持たせ、さらに「どんなグラデーションとなろうとも色合いだけは私が決めよう」という道筋によってトリッキーにも前向きな今の摩美々がある。そういう風に思っちゃったという話です。

これがまた実に摩美々らしいいたずらのように思えてきます。らしさ、です。ネガティヴベースで人生に前向きになるには自然な手続きで、そのトリッキーな手法自体が摩美々らしさともなっています。そこまで踏まえてみると、青(ネガティヴ)かつ赤(情熱)の混成が摩美々らしさであるということがより深く理解されるのではないかなと、担当Pもとい深く摩美々を想う者としては言いたくなるところです。