『シャニ・ウエーハスを求めて』のこと

シャニマスのウエハースがあまりにも見つからず「まるで存在しないものを探求する欲望みたいだ……」となったあまり小ボケをかました小説を書きました。

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ボルヘスの短編『アル・ムターシムを求めて』を文字ったものです。オリジナルの方では、アル・ムターシムという男を探し求める話が出てきて、この男が存在しないというのがひとつの重要なポイントでした。また、特徴的なのは『アル・ムターシムを求めて』という短編が架空の本である『アル・ムターシムを求めて』についての批評でもあるというところです。これをどう解釈するかは分かれるところですが、一種の自己言及的な性格を持つと読むこともできます。

その場合たとえば『私はいま嘘をついています』のように、無矛盾に成立するかしないかがごちゃつく問題が発生します。私の言うことが真であると嘘にならないし、私の言うことが偽であるなら嘘をついてて正しいことになってしまう、みたいな論理学上の問題です。僕はこういうの全然詳しくないので早々に退散しますが、自己言及的な文章を(ボルヘスの真似と言えど)実際に書いてみると、「こう述べることによって何かが歪まないかな?」というようなやりづらさを感じ、それもまた面白かったです。

 

『アル・ムターシムを求めて』の作中で指示される方の『アル・ムターシムを求めて』には初版と改訂版とがあるとされ、初版は見つからないけど聞いた話を総合すると結末がちょっと変えられたらしく、新しい版で劣化したことについて批評されます。自分で作った架空の作品について批評するのすごいですよね。

そして今再認識しましたが初版の方もまた存在しないものなんですね。僕がこの小説を読んでて共感したのは「存在しないものの存在感の方がかえって大きいことがあるよな」ということでした。この小説を思いついたのはまさしくその点で、シャニマスのウエハースが見つからなかった経験と結びついたからです。

シャニマスウエハースは正直そんなに必死こいて確保したいとは思っていなかったのですが、コンビニとかに入ったときには探してみようかと思って裏切られた繰り返しが「無いもの」としての性格を強めさせ欲望の対象として強力になっていく感触があったのですね。

ところでこの「無いもの」というのが曲者です。「在るもの」に無いという属性がついたのではなく、むしろ存在から外れているからこそ無いのであって、その意味では超越的です。神とかに近いです。実際、神は存在そのものであるから無であるとかいった神学はありましたし、否定神学なんかは「〜ではない」としか語れないものとして神を見ています。無いものであればこそ惹かれる気持ちはそういったところにも繋げたくなる面白みがあります。あまりにも気軽に話を広げていますが……

そういうわけで、探しても無いから探してしまうみたいな話をしつつ、ウエハースの存在感をぐっと無に近づけたいなと思って書いてました。だからウエハースと呼ばずにアル・ムターシムに寄せて「シャニ・ウエーハス」と呼ぶことにして、他の固有名詞はなるべく生々しく具体的にしてみました。そのうえで、店頭に並んでいるかもしれない「シャニ・ウエーハス」すらも何かの影であるとみなすことによって、いっそう「シャニ・ウエーハス」の存在レベルを下げてみました。ボルヘスの短編にもあった言い回しを援用してですが、当初ならば実物だと思ってたであろうものすらオリジナルではないという仕掛けは僕のひそかなアイデアで、かつ『アル・ムターシムを求めて』の自分なりの解釈でした。実際、たぶん本物のウエハースを入手したところで、なんか欲しかったのと違うなと思うと思うので、現実世界の様相と裏腹に自分のなかの存在感がやたらと大きくなってる感じを演出してみました。

ついでに、批評パートとかも考えながら書いてはいたんですが、あくまでお遊びなのでそこまで真剣に読み解くほどの深みはないと思います。

 

自分の書いたものを解説するほど偉くなったんか! と思う一方で、説明しなくとも熟読してくれると思い上がれるほど偉くなったんか! という風にも思い、まぁ半分独り言のつもりで投稿できる場所ならいいかと思って裏話を書いてみました。

訳わかんないのに淡々と話を進めるボルヘス調をもうちょっと楽しみたかったのと、現実世界にも干渉してくるようなボルヘスっぽい読後感を出せたらいいなって思って書きました。いざ書いてみると自分ではけっこう面白くて、二次創作は自分が読みたいものを代わりに作ってくれる人がいないから自分で作るんだ、というよく聞く話を実体験として理解できました。