伏線のこと

映画や小説はもちろんシャニマスのコミュの感想などで「伏線」という語が使われることがあります。しばしば「伏線回収がすごい!」と褒め言葉で使われます。

実はこれについて、わかるような気持ちとやっぱわからんという気持ちとを両方抱えながら眺めていました。なんとなく整理がついてきたのでなんとなく整理してみます。

 

以前に「刹那」の話をしたときに調べずにベラベラ言って、いざ調べたらなんか違くない? という風になった例があるで、まずは伏線の意味を辞書で引きます。

 

日本国語大辞典

(1) 文章技法の一つ。小説、戯曲などで、のちに述べる事柄の準備のために、それに関連した事柄を前の方でほのめかしておくこと。また、そのもの。

(2) 後の事に備えて、あらかじめ設けておくこと。また、そのもの。

 

例文は割愛です。ほかの辞書でもだいたいこんなもんでした。

昔、中学一年生のときに現代文の授業で習ったのはもうちょっと違う雰囲気だったような気もします。そのときは物語が好転する少し前に雨上がりを予感させる日差しが遠くに見えるシーンがあり、それが今後の展開をほのめかす効果があってそれを伏線と呼ぶのだと教わった覚えがあります。(覚え違いかもしれないですが)

ともかく、当時の授業を思い出して「おや?」と思ったのは、昨今ではそうではないものについて伏線ってよく言われていると思ったからです。たとえば、途中で挟まれる奇妙なやりとりが物語の結末付近になって初めて意味がわかるようになるとき、見事な伏線回収だと言われます。一種の謎解き的な仕掛けでしょうか。授業で聞いたと記憶していたのは、もうちょっと演出効果的な側面が強くてここには差異があります。

とはいっても上の辞書には「それに関連した事柄を前の方でほのめかしておく」とあり、けっこうふんわりした用語説明なので、どちらもバッチリ伏線と言えそうです。一言で伏線と言ってもけっこう幅は広い感じがします。

 

用語整理はこれくらいでいいでしょう。

さて、僕が伏線について「わかる」とか「わかんねー」とか思った件ですが、結局のところ、わかんないのは「伏線回収がすごいとその話がすごいことになるのか?」というところに尽きる気がしてきました。他方で、実際に伏線回収の優れた作品に感動すら覚えたこともあるので、わかるといえばわかると認めざるを得ない感じになっています。

 

たとえばシュタインズゲートなんかは伏線回収の妙技が炸裂していました。最終回が近づくにつれて全部がつながり、急速に立体的に組み上がっていくあの快感は類を見ないものでした。あれを受けて伏線のひとつの効果は物語に立体感を与えるものなのだなぁと思うようになりました。

が、必ずしもそうではない伏線回収もあり、というかあんな離れ業はめったに見れるものではなく、伏線は謎解きのために先んじて提示しておく痕跡くらいの立ち位置のものも少なくありません。「あっあれそういう意味だったのねー」と後から気付かされるのは確かにちょっと楽しいです。が、ひどいものもあって伏線回収できれば何でもいいみたいなものも見たことがあります。伏線のための伏線というか、後で回収するために文脈から浮くしそれほど重要でもない演出だけど重要だと主人公に思わせておけみたいな、そういうものでした。

ここまでくると「伏線回収ってなんであった方がいいんだっけ……」と思うのもやむなしでしょう。

 

伏線回収の効果は僕がシュタインズゲートに感じたような、物語の冒頭と結末をつなげて立体感を出すはたらきもあると思いますが、きっと全然それだけではないと思います。逆に言えば、伏線回収していれば特定の効果が得られるとは限らないということで、ひどい例のような伏線回収がいっさい何の効果ももたらしていないこともあり得ます。

そう考えてみると「この話は伏線回収がすごい!」といった感想は何を評価しているのかが見えてこないのが、僕のもやもやの正体かもしれません。僕としては伏線回収があったからどうすごかったのかが気になってしまいます。勢い軽はずみなことを言っているかもなのですが、伏線回収さえ指摘できれば作品を評価できたことになってしまうとしたらちょっと面白くないなと感じたりもます。作品について論じるときに伏線回収に話が尽きたら嫌だな、って感じです。読書なり鑑賞なりの経験をしても謎解き的な面白さしか見出せなくなってしまわないかということを(余計なお世話ですが)危惧しています。

僕もたまに話の構造を分析して暴きだすようなことをします(プレゼン・フォー・ユーの記事が典型です)し、けっこう楽しんでやりますが、それだけしかできなくなるとしたら物語に触れる醍醐味に欠けるなぁと思います。あくまで個人的にですが、「その話を受けて自分が何を感じ考えたのか」とか「自分はそれに対してどのような応答を出せるだろうか」とか、そういう風に考える機会に恵まれたとき、物語との対話ができているときが一番堪能してる実感があります。

なので他人が書く文章についても、物語がどういう構造になっているのかをわかりやすく解説する考察的な話もいいんですが(というかデマに抗うためには必要ですらあるとは思いますが)、こちらがしっかり読みこんだうえで他の人はどう考えたんだろうなって気になったときに、読みたい種類の感想があんまりないことをちょっと寂しく思っては、全部かっさらっていく伏線回収のわかりやすさに少しムッとしていました。伏線に対する「わかんねー」は要するにいくらか逆恨みだったようです。