今月の詩

以前にも話題にしましたが、詩集から二編を選んで私選詩集を作ろうの会に参加させてもらっています。

今月は西沢杏子さんの『虫や草やあなたやわたしやむしゃくしゃや──西沢杏子詩集』が課題図書でした。

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飛んでいる蚊を叩こうとする

今月の一編目はこちらです。「飛んでいる蚊を叩こうとする」がタイトルです。

詩集全体を通して、スルーしてしまいがちだけどこれって傷つける行為だったりするよね……という方面への繊細さが発揮されているような印象でした。その中で共感できるものもできないものもあったわけですが、この詩はまるまんま自分で気にしてることでした。

蚊を潰して「やったー」と喜ぶのは普通であるけれど、命をとる行為で喜ぶってなんなんだと違和感を覚えることが度々あります。だけど、あんまり強く誰かを批判する資格もなくて……というはっきりしない心持ちを描き出されたような詩でした。

 

蚊だってよく見てみれば複雑な構造をしていて、生まれるまで色々があった一個の命であって、もし心みたいなものがあって我々みたいに生きていたとしたら、その生涯をあっさりと途絶えさせるのって本当は大変なことなんじゃないのと思うことがあります。

特に自分の場合はそこまで痒くなるわけでもないし、日本では蚊が媒介する疾病がそんなに深刻でもないしということで、なるべく蚊を潰さないようにしています。捕虫用にプリンのカップみたいなものを常備していて、捕まえては外に逃がすのですが……

 

本当はこんな風に逃がしても誰かが代わりに刺されて誰かが代わりに殺す可能性が少なからずあることには気づいていて、そういうことに気づいた弱さで寝る前とかの面倒くさいタイミングで登場したときには叩き潰すこともあったりもするわけで、自分の生半可さを意識しないわけにはいきません。

そもそも生き物を殺すその瞬間には関与していなくても、食品というのはすべて殺しの成果物ですから、蚊を殺さないということで守れる主張はほとんどないことにも気づいています。日本にはマラリアなどがないとは言ったものの、今後出てきた場合に自分はどうするのか、全然考えていないですし、大義名分を得て清々としながら容赦無く蚊を叩き潰していてもおかしくありません。

その程度の気持ちでやっている善行は決して胸を張れるようなものではなく、けれども気軽に生き物を殺してあまつさえ楽しむようなことへの違和感は失ってはいけないという風にも思っており、しかしそれは信念と呼ぶにはあんまりな出来映えで、自分の生き様が裏打ちしていないからというのが一個の理由であろうとも思います。

 

そういうどっちつかずな迷い方を見事に取り出されたのがこの詩でした。

蚊を叩き潰すことについて「あさましくない? さもしくない? はずかしくない?」と問いかけながら、最後の最後で「マラリアになったら………… そのときになって考えませう」と急転回して締められます。

 

この一節で複雑で割り切れない思考の筋の絡まりが一挙に表現されています。

生き物を殺すことへの抵抗や主張が本当はまったく綿密に用意できてなどいないことや、自分自身に危害が及ぶならば躊躇がなくなるかもしれないこと、逆にそこに至ってもなお不殺を貫く可能性が残っているほどに抵抗感が大きいことなど、自分の中にあってそれぞれ矛盾する主義主張が簡潔に表現されていて、見事な手腕です。

思えば、シャニマスで一時期話題をさらった「生きてるってことは物語じゃないから」という言葉も何か言い知れぬ思考を不明瞭なままに鋭く表現していました。

人間の思考というのは決して合理的ではないし、自分としては頭の中で論理的に考えているとみなすのは不自然だと思っています。われわれはもっとぼやぼや考えていると思うのですが、そのぼやぼやをなるべく変質しないで形を与えるのが詩のなせる技の一つであったかと気付かされました。詩的表現っていうのは何も感性的なものに訴えかけることに特化していなくてもいいというのは発見でした。

 

 

ブルー

今月の詩の二編目。アジサイが全身ブルーで、ふさいでいるワタシもブルーで、そこから「ヒトの身体の一部にもアジサイ色があるのです」「無口なアジサイがぼってりとワタシに話してきかせます」といって終わる短い詩です。

落ち込んでいるときのブルーというのは言われてみればちょっと不思議で、たしかに寒色系は静かめな気持ちと合いますが、世にある青色がどれもこれも沈鬱な感じであるかというとそんなことはありません。

アジサイの青色はどうでしょう。どちらかというとたしかに重めな感情と似合うかもしれません。ユリみたいに華奢で上品でもバラみたいに華やかな雰囲気でもありません。カタマリって感じの花なので、青系の色合いとなると明るく前向きな気持ちとは縁遠いかもしれない。けれども落ち込んで下向きになると言うには、アジサイの花はまさに「ぼってりと」していてふてぶてしく見えます。落ち込んで沈んでしまいそうになるブルーな気持ちをアジサイ色と言い張られると、そういう気持ちも美しくありうるんだよなと思ったりして、すぐ落ち込んでしまう自分自身の脆さそのものにさらに落ち込む負の連鎖には陥らないで済みそうな気がしてきます。