10月分の詩選

月に2作品の詩を選ぶ試みを続けています。

最近は特に記事にすることもなく淡々と選んでいたのですが、先月分に関してはかなりいい詩集に出会えて選ぶのにそれなりに悩みましたので、ちょっとだけ書き記しておこうかと思います。

 

選んだのはヴィスワヴァ・シンボルスカの『瞬間』という詩集です。

たまたま本屋で見かけただけなのですが、訳者が沼野充義先生ということで予感めいたものを感じて手に取りました。蓋を開けてみればかなり好きな雰囲気でした。

詩が心の奥深くに潜る営みだとして、その過程で生きることについて考えるとき、人間として生きることに向かうのか生命として生きることに向かうのかという分岐があるのかもしれません。そう思ったのは、シンボルスカの詩を読むにあたって生命としての自分に向き合っているなと感じたからで、その感性がしっくりきて心地よく読み進められました。

 

中でも自分に調和的だったのが「雲」という一編で今月の詩の一つ目になります。

雲の描写は
すごく急がなければならない──
ほんの一瞬で
姿を変え、別のものになっていくから。

という書き出しに始まり、同じ姿にならない雲に軽薄さを見たり、相対的に人生が揺るぎないものに思えたりするのですが、他方で雲は確固たるものであろうという姿勢と関係がない点で超越的な存在にも思えてくる、といった雲をめぐる転回があります。実際のところ超越的という言い方はしていないので僕の解釈が混入していますが、自然のこういう達観したところに畏怖してしまうんだよなぁという共感があります。

雲には私たちとともに滅びる義務もないし
流れゆく姿を人に見られる必要もない。

この節で詩は締めくくられます。

人間への思いやりも残酷さもなく泰然とある自然に最も美しさを感じます。

 

 

今月の二編目は「魂について一言」という詩。書き出しがまず強烈。

人は魂を持っていることがよくある。

「よくある」て……。ないことがあるんかと思うけれども、シンボルスカは魂をふとしたときにやってきたり何年も持てなかったりするものとして描き出します。とんだ世界観だなと思いかけるのですが、実際、自分がきちんと「自分」をやっていることってあんまりないよなと気づきます。だから魂ある存在として自発的に生きていくことを忘れないようにしたい……という程度で終わればかわいいものなのですが、そこは一味も二味も違います。

シンボルスカが述べる魂が一体何なのか、自分はどれほど理解できているのか、あるいは理解する素質があるのか、次第に不安になっていきます。

魂をあてにすることができるのは
私たちが何事にも自信が持てず
なんでも面白いと思うとき。

形のある品物のうち魂が好きなのは
振り子時計と
誰ものぞき込んでいないときでも
一所懸命働き続ける鏡だ。

どういうこと〜?と頭を抱えてしまうのですが、心のどこかで理解が芽生えるような気もしていて、適当なことを言っているわけではなく中身があることを感じます。どういうわけか何かしらの真実を汲み取っているような感触があり、自分も詩人と同じ地平に立ってみたく、こういうものこそたびたび読み返したいなと思ったりもします。

 

 

他にもいいなぁ〜と思った詩がたくさんで、他の詩集にも手を出したいなとも思いつつの今月の詩選抜でした。